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就活サバイバルを憂う1人の大学生の嘆き

大学3年の1月、周囲では就活の話題があがり始める。友人はSPI対策の勉強を始め、バイト先の大人には就職どうするの?と聞かれ、SNSを開けば就活サイトの広告が目に入る。だけど、私はどうしても「就活」という言葉から絶望を感じざるを得ない。それは、型にはまることへの恐怖からくる絶望である。
では、私は何の型にはまるのか。社会人という型。一般人という型。常識人という型。画一化された幸福。当たり障りのない人間関係。格差のある給与。打開できない壁。
高学歴女子は早く相手を見つけないと結婚できないと言われる。卵子は老化するから、早く子供を産めとも言われる。その割に育休制度も教育環境もぼろぼろの我が国。高度成長期を生きた老人たちが再び夢を見るかのように開かれる東京オリンピック、大阪万博。その割に文化もスポーツも蔑ろにされる我が国。今年の10月には消費税が上がる。東北や熊本の地震の被災者たちは今も苦しんでいる。子供が減り、高齢者だらけになる未来は約束されている。何もできない私は、明日を生きるために黙って会社に通う。好きな人を見つけ、結婚して子供を産み、貧しいながらもささやかな幸せに感謝して死んでいく人生。

実際にその人生を生きれば、こんな簡単な言葉に収まりきらないドラマが待ち受けているのであろう。でも、でも、あまりに切ないではないか。老人たちの尻拭いを一生受け持つ人生。奴隷のように国の借金を背負い続ける人生。税金を収めたって、適切な場所に分配されないことはほとんど立証されている。こんな国で年金を支払ったって、将来それを受け取れるかなんて知れたことではないのに。

そもそも私はまだ学生である。四年制である大学で、あと一年は学ぶ者として保証されているのである。その貴重な一年をなぜ就活に捧げなきゃいけないのか。私にはまず、四年時は就活をするというその慣習が受け付けない。
就活をさっさと終えて、あとは遊んで過ごす、この考え方にも理解ができない。大学生は人生の夏休みだという言葉もあるけれど、社会に出たらもう遊べないということを受け入れているからこそくる言葉である。どうしてそこまで割り切って諦めることができるのか。
また、国立とはいえ高い学費を払って通っているのである。私立であればその2倍、お金は湯水のように消えていく。どうしてここまで厳しい条件を飲み込んで学んでいるというのに、大学にいる4年間を大学生として満喫させてさえもくれないのか。

とはいえ、私の家計は就職しなくてもいいほど余裕があるわけではない。親には、「院に行くなら学費は自分で稼げ」と言われている。国立とはいえ奨学金も借りつつ高い学費を払って大学へ通っているので、私は卒業した途端、多額の借金を抱えて世に出ることになる。
大口を叩くことはいくらでもできるけれど、やはり目の前の現実を生きなきゃ意味がない。
私はきっと何かしらの方法で就職する。または、アルバイトをして食いつないでいく。それでも、この国の負の部分を黙って受け入れる気はさらさらない。若い私たちが行動しなければ、この国はきっと何も変わらないのだから。
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