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別れが最期とは限らない




あの人は、縁がない人。

そういうのって、わかる。直感で。
そしてそれは大体当たってる。いつだってそうだった。



卒業式の日。
わたしはあの人を見ていた。もう一生目にすることはないだろう、制服姿の細い背中を。


3年前、初めて入った高校の教室の机が高くて、足元をふわふわさせていた。 廊下側の一番後ろ席に座って教室を見回していたら、初めてあの人を見つけた。瞬間息が止まった。窓際の中間くらいに座っていたあの人は、本を読んでいた。朝の光を浴びた輪郭が溶けそうなくらい細く、まっすぐに凛と伸びた背中が美しかった。


それから3年間、わたしの視線は幾度もあの人に吸い寄せられた。そのうちに無意識でもあの人を目で追うようになり、次第に習慣づけられていった。すっかり体に染み込んだ所作。あの人がどこにいて、何をしているのか、今はもう感覚でもわかる。

ついに一度も会話を交わすことがなかった。3年間同じクラスだったというのに、席も近くならず、何かの係が被ることもなかった。
本当に、ごく単純に、縁がなかったのだ。もちろん、わたしが奥手だということもあるけれど。

あの人も、あまり積極的なタイプではなかった。友達も多くなかったと思う。休み時間はいつも本を読んでいたし、ほとんど感情をあらわにしなかった。仕事は淡々とこなしたし、先生に当てられたらいつも的確な答えを口にしていた。それでもいじめられたりはぶかれたりしなかったのは、その振る舞いが美しく、堂々としていたからと思う。


わたしはあの人が好きなのかどうか分からなかった。一度も言葉を交わしたことがないのに好きなのはどうか、と思った。だから、わたしはただ単にあの人に魅入られていたのだと思う。それと同時に、あの人はわたしとは縁遠い領域にいる人だって、ちゃんとわかってた。



卒業式が終わって、生徒たちはもうほとんど学校の外に出ていた。泣いている女子の声と、弾けるように明るい女子の声と、友情を誓い合うように元気な男子の声と、アイフォーンの撮影音が混じって耳に入ってきた。そこら中で制服の黒い影が集まったり離れたりしていた。
わたしは一人玄関口に立ち尽くして、あの人の背中を目で追っていた。わたしの眼球は3年間の愛着ある背中を名残惜しむように追っていた。あの人は誰とも言葉を交わさずに、ただ一人正門の方に向かっていた。
卒業の前日も、卒業式の最中も、何にも思わなかったのに、あの人の背中を見ていたら、急に胸が苦しくなった。
このまま、終わってしまう。


わたしの体は思うより先に動いていた。左手に抱えた二つ折りの卒業証書が鬱陶しかった。右手に持った一輪のガーベラが揺れていた。わたしはあの人を、体で追いかけた。


こんなに近くで見ることはなかった。もっと細いと思ってた。折れそうなくらい華奢で、繊細だと思ってた。でも、だんだん近づいてくるあの人の背中は、意外と広さがあった。そして大きかった。


足音に気づいて、あの人は立ち止まり、くるりと振り返ってわたしを見た。わたしの心臓は飛び上がり、立ち止まった。蛇に睨まれた蛙のような気持ちになり、怖くなって震えだした。
最後の最後で忘れてしまった。あの人は、いやこの人は、わたしと縁のない領域にいる人だということを。
彼は黙ってわたしを見下ろした。わたしも何も言えず、俯いた。


違う、好きなんじゃない。そういうんじゃない。でも、近づきたかった。触れてみたかった。知りたかった。なんでそんなに綺麗なのか。なんでそんなに強いのか。知らないままでもよかった。でも、やっぱり知りたかった。


わたしは意を決して彼を見上げた。
初めて見つめる彼の瞳は、意外なほど純粋な光を湛えていた。そしてやはりその美しさがわたしを射抜いた。3年前の衝撃と同じ鮮度を保って。


「好きでした」


自分でも意外な言葉を口走った。違う、そうじゃないのに。でも、胸の奥から込み上げるものに飲まれてもうわからなくなった。鼻の奥がツンとした。わたしは必死の思いで彼の瞳を見つめた。

彼の端正な顔が、ちょっと崩れた。そして、はにかむように微笑んだ。それは今にも溶けそうに、柔らかな笑顔だった。


「ありがとう」


そう呟いて、彼はくるりと後ろを向いた。そして再び正門に向かって歩いて行った。わたしは夢から醒めたような心地で、彼の背中を追っていた。今までにないくらい真っ直ぐに、見つめていた。彼の背中はどんどん小さくなって、やがて見えなくなった。




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