【雑談】イマジナリーフレンド
皆さんは人生で初めて観た映画を覚えていますか?
私はハッキリと覚えています。
そうです。「トイストーリー2」です。
3歳くらいの時に、家にあったビデオで鑑賞していたのを今でも覚えています。
おもちゃ好きの少年・アンディの家に住むカウボーイの人形・ウッディとスペースレンジャーの人形・バズ・ライトイヤーがおもちゃの視点で大冒険を繰り広げる、アノ映画です。
この映画、まだ世間に染まりきっていない幼少期に初めて鑑賞したので、家にあるおもちゃに魂が宿って動き出して、ミクロでマクロな世界を冒険していく、、、と考えただけでもロマンで一杯でした。
もし、かなり頭が凝り固まってきた今見始めたら「こんなのポルターガイストと一緒ですやん!」みたいな捻くれた感想が出てきそうですが(笑)。
トイストーリーはもちろん全作品見てますし、最初に見た2や中学時代に録画しておいた3はもう30回以上は見ているんじゃないかな、といったところです。
さて、こうしてトイストーリーにガッツリ浸かってきた幼少期ですが、その影響で当時実家にあったぬいぐるみやおもちゃも、真夜中や留守番中に人知れず動き出しているのかな?と妄想が日々膨らんでいくようになりました。
そして、動きはせずとも、すべてのモノには見えないところで「魂」が宿っていて、私たちを見守っているのでは?(座敷わらし的な感じですね)というような考えが芽生えてくるようになったのです。
中でも、私が大切に大切に持っていたヒヨコのぬいぐるみは私自身にとってのウッディ的な存在でした。どこに行くのも、どこで遊ぶのにも一緒。愛着がありすぎて、小学時代にひっそりと描いていた漫画の主人公のモデルにそのヒヨコのぬいぐるみを採用した程。流石に布製なのでもうボロボロですが、実家の押入れの中に今でも捨てられずに生き残っています。
こういった考え(現象)を、世間では「イマジナリーフレンド」と呼ぶみたいで、主に幼少期の生育環境だったり孤独感を感じた時に生まれるみたいです。
思い返せば、私自身両親が幼少期から共働き&幼稚園時代からの祖父母の介護で忙しく、兄弟もいなかったので家に一人でいる時間が長かったような記憶が強いです。そして、家で一人でいると勝手にぬいぐるみやポケモンキッズで遊び出して、物語の脚本をその場その場で考えながら自由自在に遊んでいました。その姿は、まさにトイストーリーのアンディそのものだったと自負しています。
ここで話を終えてしまうと、ただの痛い話で終わってしまいますが、イマジナリーフレンドには現在進行形で助けられています。
例えば、これまでの記事で紹介してきた高校時代の寮生活や、大学時代のメンタルが終わっていた時期の話。当時の自分の心の狭さや臆病さ、これまでの思考のクセからか、一人で脳内自分会議を開くことが頻繁にありました。
そこで、自分の好きなキャラクターをイマジナリーフレンドとして自分会議の場に召喚して、鼓舞するメッセージを放って貰い、また自分の住処に帰っていく。
この「キャラクター」は古今東西様々で、大好きなジョジョの登場人物から歴史上の人物まで枚挙に遑がありません。
社会人になった今でも、最近ハマったアニメや小説のキャラクターを脳内に召喚して、自分のことを激励して貰ったり慰めて貰っています。
これでもまだ「痛い奴」認定されそうで参ってしまいそうですが、このイマジナリーフレンドは自分の心の声の代弁者であり、メンタルを支える良き「友人」であり、詰まるところ「ジブン応援団」です。
私自身、最初の記事でも述べましたが「自分を大切にすること」に手段を選んではいけないと思います。人生で2〜3回程メンタルがぶっ壊れた私だからこそ痛感しているのですが、自分を守れる存在なのであればイマジナリーフレンドも立派な自己防衛の手段です。
なので、この記事を読んで「自分も毎日自分会議やってるわ」「イマジナリーフレンド、作っているよ!」という方々は是非とも自分に自信を持って、イマジナリーフレンド・ライフを引き続き堪能いただけると幸いです。まだ、イマジナリーフレンドを作ったことがない貴方も、もし余力があれば作ってみてください。きっと、あなたの良き「友人」になること請け合いです。
それでは、今日はこの辺で。
PS.記事書いてたら自分が整理整頓できない理由がわかってきました笑笑
モノに執着持って生きてきた弊害ですね。😅
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