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『ミルキーウェイ・プリンス』3年越しの新訳版リリースについて(by翻訳者)

あなたは2020年に発売された『ミルキーウェイ・プリンス』というイタリア生まれの恋愛ノベルゲームをご存知だろうか?
まったく知らないかもしれない。タイトルは聞いたことがあるかもしれない。あるいはすでにプレイしていて、ほろ苦い印象を持たれているかもしれない。そういった方にはこのnoteを読んで頂き、本日(2023年7月19日)に再リリースされた『ミルキーウェイ・プリンス』新訳版をプレイして頂けるとすごくすごく嬉しいです。

銀河の王子との出会い

3年前の寒い冬の晩、初めて『ミルキーウェイ・プリンス』をプレイした日のことは今でもよく覚えている。ライター山田集佳さんのIGN Japanレビューを読んで、このイタリア産ノベルゲームの存在を知った。

本作の美点も難点も余すところなく記されたこのレビューを読んで、「かなりクセ強そうだけど、めちゃくちゃやってみたい……」とすぐに思った(昔から「七面倒そうな恋愛ノベルゲーム」に目がないのである)。

そうしてSteamで購入し、無我夢中でプレイした。

軽い気持ちで始めた『ミルキーウェイ・プリンス』は自分の予想をだいぶ裏切った。正直、狼狽した。エンディングで自分が少しばかり泣いていたことに。自分の内に長いこと眠っていた、忘れていたことさえも忘れていたような感情がふいに目を覚ましたことに。大袈裟に言うなら、それは思いがけない「再会」だった。そしてその再会は、多少の痛みを伴うものだった。まだすっかり乾ききっていないかさぶたを無理に引き剥がされた時のようなリアルな痛みを。

恋人の一語一語が心に突き刺さってくる

作者ロレンツォ・レダエリの手による、Ninja Tuneカフェ・デルマーの音源を想起させるようなデカダンでロマンチックな劇伴——自分ものめりこんでいたアンジェロ・バダラメンティラナ・デル・レイ、ドイツのテクノレーベルKOMPAKTといった音楽の影響も如実に感じさせる——、上手い下手といった基準では評価できない、きわめて独創的なイラストレーション(作者は古い映画のみならず、アニメ『輪るピンクドラム』竜騎士07氏の作ったノベルゲームにも多大な影響を受けているそうだ)のインパクトと親近感はけっして少なくなかった。

輪るピンクドラム

でも、本作が自分にもっとも強い印象をもたらしたのは、恋愛主体と恋愛対象の出会い、恋人同士の「サシ」の対話と主人公の独白のみで構成された、本作のあまりに真っ直ぐでハードコアなスタイルに尽きるように思う。

本作の登場人物は、幼少期から星や宇宙に並々ならぬ熱情を抱いてきた青年ナキと、彼がある晩(流星群の日に)出会った謎の男スーンの2人。デート中、バーで飲みものを運んでくれる店員さんとナキが自室で飼育しているヒトデを除けば、本当に「2人きりの世界」である。

彼ら2人は恋愛初期こそ、互いに惹かれあい、「目に見えない繋がり」をたっぷり感じているものの、中盤以降は相手と自分の精神的不安感によって、その関係性は次第に揺らぎ始め、膨張し、爆発の予感を漂わせる。

スーンとの会話はいつでも強い緊張感に溢れている

本作の主人公(ナキ)と彼が想いを寄せる相手(スーン)は同性愛者である。しかし、本作の通奏低音は僕がこれまでプレイしてきた大好きなLGBTQ+系ノベルゲームやドラマとはだいぶ趣きを異にしている。

たとえば『If found…』(2020)というノベルゲームは90年代アイルランドの小さな街という閉塞的な土地において自身の性自認について迷い、家族や友人たちの対応に傷ついたり、ときめいたり、戸惑ったりしながらも自己と新しい人生を模索していくことをゲーム体験のメインに据えている。

また、LGBTQ+当事者のみならず、数多くの人に支持された名作ビジュアルノベル『Butterfly Soup』(2017)は、同性愛者であることへの戸惑いと喜び、友情、学校や社会への違和感、多感なティーンである彼/彼女らの葛藤をこれまでになかったほどポップに、魅力的に描いた(本作を初めてプレイした時、おもわずガッツポーズしてしまったことは記憶に新しい)。

イギリスのウェブコミックから生まれたNetflixドラマハートストッパー(2022)は、気弱なゲイの高校生・チャーリーが人気者の同級生ニックに恋し、多くのすれ違いや障壁を乗り越えながら、愛を深めていく様子がクィアに関心を持たない視聴者層をも取り込み、世界中に一大ブームを巻き起こした(待望されているシーズン2は2023年8月スタート)。

ハートストッパー(Netflix)

こうしたコミュニケーション的レプリゼーションを見事に描いたLGBTQ+作品群と比較すると——それが意識的なのか無意識的なのかはわからないけれど——本作『ミルキーウェイ・プリンス』では、性嗜好や性自認における戸惑いについては(ほぼ)描かれない。
本作において、「自分・相手が同性愛者であること」やそれによって主人公が感じてきた喜びや苦しみ、社会的な孤立感は主題・前提として設定されていないのだ。そのことに自分はある種、新鮮な清々しさを覚えた。クィアを描いた作品はいよいよ新しいフェイズに入っているのかもしれない、と。

『ミルキーウェイ・プリンス』で一貫して描かれるのは、「他者を恋することの根源的な困難」とその「度し難さ」。そして恋愛主体に生じる激しい内的葛藤であるように思う。

主人公の内的葛藤がしつこいほどに描かれる

主人公・ナキのスーンに対する純度の高い恋愛感情は、序盤こそ期待と不安ではち切れんばかりになっているものの、スーンと歯車が噛みあわなくなってくる中盤以降は、2人の対話以上に、ナキの自己葛藤と独白——他者を愛した時(愛せるという予感を抱いた時)に湧き上がってくる、現実世界における生(性)の領域を踏み越えそうになってしまう感覚が生々しく描かれる。

ゲーム冒頭で、ナキは「どうして理想の人を求めることで、暗い道に引きずり込まれなきゃならないのさ?」と、本作の主題とも言えるようなひと言を漏らすのだが、実際、ナキは、スーンとの恋愛にのめりこんでいくうちに、危うい領域に踏み込むことになる。言うなれば、それは星の運行から大きく外れ、「ブラックホール」へと向かう暗い道だ。

闇(病み)王子・スーン

プレイ中、自分はこうしたプロセスとこの感情を識っている——と強く思った。それは自分にとってはシンプルな「共感」だった。ナキは最終的には「生きるべきか、死ぬべきか」というシェイクスピア的主題に行き当たる。否応なしに、行き当たってしまうのだ(もちろんそこには作者の持つ宗教的な主題、世界観も含まれているだろう)。最後までプレイして頂ければ、本作『ミルキーウェイ・プリンス』が、作者が人生を賭して作り上げた一世一大のビルドゥンクス・ロマンであることが伝わるはずと、訳者として、いちミルキーウェイ・ファンとして固く信じている。

瞳に星を持つ男・ナキ

翻訳のきっかけと翻訳作業について

ここまで読んでくださってありがとうございました。以下は訳者の私的な話題とエンディングに触れる箇所もあるので、公開3日後から有料記事設定にさせて頂きます翻訳に関する有用な話はほとんどないと思いますが、より具体的な翻訳作業が知りたいという方や、どうして「新訳」という特例的な案件が生まれたか、といったことについて書きます。もしよろしければ……。

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前述したように、自分が本作を知ったきっかけは3年前、IGN Japanのレビューを読んだことだった。すぐに購入して序盤を日本語でプレイしたものの、「これは絶対に原文でプレイしなければ」と思い、頑張って英語でプレイしながら、つたない訳文をコクヨのノートに書きつけていった(ノート画像を貼ろうと思ったけど、あまりに荒々しい手書きなので割愛します)。

当時は自動翻訳を一切使っていなかったので(翻訳ソフトの存在も知らなかった)、CASIOの電子辞書を使って只管「アナログ」に訳出していった。まさか、その時は自分の翻訳が公式で使われることになるとは夢にも思っていなかったから、かなり大ざっぱに翻訳していったのだけど、それでも最後まで訳した時、生まれて初めて海外ノベルゲームを自分の翻訳で訳し切ったことに対する手応えのようなものを強く感じたことを憶えている。

本作を新訳することになった経緯について。
SNSやsteamレビューでも、「翻訳がヤバい」(機械翻訳みが強い)と別の意味で話題になってしまっていた感のある本作に対して、新訳を出す必要があるとかねてより強く感じていた。このように素晴らしい作品が言語によって誤解されていることが居ても立ってもいられなかったのだ。

そうして本作のクリアから2年後(2022年の夏)、別案件で架け橋ゲームズさんと接する機会を得て、Bitsummitに出品されたSoup Raidersというゲームのデモ版を訳する機会を頂いた。
その翻訳をどうにか終えた後、自分の訳で『ミルキーウェイ・プリンス』を再リリースできたらいいなあ……と考えていた矢先、ゲーム翻訳大先輩である伊東龍さんから「開発者さんに直接連絡してみるといいよ」と助言を頂いた。そこでパブリッシャーであるSanta Ragioneに(おそるおそる)メールを送ったところ、意外なことに快諾してもらえた。つまり、本作『ミルキーウェイ・プリンス』新訳版リリースの発端は伊東さんのおかげと言っても過言ではないのである。この場をかりて巨大な感謝を捧げたい。

ただ、Santa Ragioneは新作ホラーゲーム『Saturnalia』の発売を間近に控えていたため、やりとりはなかなかスムーズに運ばなかった。

それでも「来年、新訳版が出せるはず」と念じつつ日々繰り返しプレイし、以前ノートに書いていた翻訳を改めて練り直していった。
『ミルキーウェイ・プリンス』はノベルゲームとしてはそこまでテキスト量が多い作品ではないけれど、期間だけで言えばたぶん半年以上はかかっていると思う。そして、これまた個人的な話で恐縮なのだけど、本作を訳出しているあいだ、自分が抱えている精神的な鬱傾向もいっそう深みを増していき、日常生活における折り合いが結構大変だった。
そう、本作はまごうことなき「鬱ゲー」なので、そうした気質の方は注意が必要かもしれない(ゲーム冒頭に作者による警告も表示されるが、一応)。

閑話休題。
時間をかければ良い翻訳ができるかと言うと、もちろんそういうものではない。途中で別のノベルゲームを翻訳する機会を得たり、ライター業もあったので期間がだいぶ空いてしまったり、鬱でモチベーションを取り戻すのがかなり難しい時期もあった。それでもどうにかこうしてリリースできたことで、今はひとまずほっとしている。翻訳ラストスパートのこの数ヶ月はほとんど本作のチェックにかかりきりだったけど、大好きな友人と起居を共にするような忘れ難い時間となった。

怒濤の会話選択シーン

翻訳でとくに苦労したのは、恋愛対象であるスーンの台詞・口調だったように思う。境界性パーソナリティ障害と躁うつ病(双極性障害)を抱えている彼は「凶星のように」不安定で、ナキに対する態度もコロコロ変わる。礼儀正しい時もあれば、薮から棒の時もあれば、情緒不安定になっていきなり怒鳴りつけてくる時もある。

しかしスーンは聡明で外向的な面も併せ持っており、主人公・ナキの瞳には「大人っぽく、才気と魅力溢れる」者に映っている。そうした彼の「声」が届くことを意識して訳したつもりだが、オリジナル版でファンになった方や海外ノベルゲームに通じている方には「ちょっと違うんじゃないか」「これなら原文でやるよね」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。そうした方にはたいへん申し訳ないのだが、これが訳者が捉えたナキとスーンの言葉であり、『ミルキーウェイ・プリンス』なのである(旧訳でプレイ済みの方にも、この新訳版を別の世界線のようなものとして再プレイして頂ければ幸いです)。

複雑なパーソナリティーの持ち主

訳者はチャールズ・ブコウスキーなどの翻訳などで知られる山西治男氏の薫陶を受けており、今も海外文学や洋書を読むことが大好きだが、語学としての英語に精通しているというわけでは全くないうえに、翻訳経験もまだまだ少ないので、すくい取れていないニュアンスもあるかもしれない(きっとあるだろう)。イタリア人にしか共有できない言い回しもあるかもしれない(きっとあるだろう)。
でも本作については「どうしても自分が訳さなければならない」というような無根拠な自負がつきまとっており、それが訳す上での大きな(いや、ほとんど全ての)モチベーションとなった。その自負は主人公・ナキへのいささか強すぎる共感と、本作が「恋愛ノベルゲーム」というものの新しい可能性・在り方を示唆していると感じたことが大きい。そしてその可能性は次作『メディテラネア・インフェルノ』に引き継がれたように思う(こちらも不肖自分が翻訳担当します。今冬リリース予定です)。

マルチエンディングについて

エンディング分岐はスーンとの会話にかかっている

すでにプレイされている方はご存知かもしれないが、本作は2種類のエンディングが用意されている。ひとつは「グッドエンド」(とは言え、いわゆるハッピーエンドではない)、もうひとつは「バッドエンド」と呼ぶべきエンディングだ。
でも、僕は普通にプレイしていたら7割くらいのプレイヤーが到達するであろう本作のバッドエンドがとても好きだ。これまでプレイしてきたノベルゲームの中で一番好きなエンディング、そう言い切ってしまいたい。とても本来的で、静謐な気持ちにさせてくれるから。
グッドエンドの方は、自分が自分であることの苦しみと喜び、そして「憧れの対象だった他者」という存在と自己との間で、どのように折り合いをつけていくべきか? といったテーマを内包しているように感じた。余裕のある方には、ぜひ双方の美しくも哀しいエンディングを見て頂けると嬉しい。

翻訳者のつたない長文をここまで読んでくださって、誠にありがとうございました。改めて、新星『ミルキーウェイ・プリンス』を宜しくお願いします。宜しければプレイ後、キタンなきご感想を(直接でもレビューでも)お知らせ頂けると訳者冥利に尽きます。2023.7.19 ラブムー☆

追記・記事の修正について(2022.7.21)

当記事 「『ミルキーウェイ・プリンス』3年越しの新訳版リリースについて(by翻訳者)」ですが、「クィアな恋愛ノベルゲームとは呼びたくない」といった見出しや文中の一部表現が、LGBTQ+当事者の方に「自分はこのゲームのプレイヤーとして想定されていない」「この翻訳者は自分たちの属性を、文脈を無視している」と受け取られる(あるいは誤解を招く)可能性が大きいという指摘を頂戴しました。

自分としては、LGBTQ+当事者以外の方にも本作『ミルキーウェイ・プリンス』に興味を持って頂きたい、最後まで読んで頂ければきっと伝わるはず、と意識的にそういった表現を用いたつもりでしたが、ご指摘を受け、本文を改めて熟読・再考したところ、たしかに読み手の方に誤解を与える可能性のあると思われる表現が見受けられたため、上記の見出しを含むいくつかの箇所を削除・修正しました。修正前の当記事をお読み頂き、ネガティブな気持ちを抱かれた方がおられましたら、この場をかりてお詫び申し上げます。

なお、記事の大意と本作をリコメンドする熱い思いは修正前と一切変わりません。『ミルキーウェイ・プリンス』というビジュアルノベルはLGBTQ+当事者の方にも、そうでない方にも強く響く作品であると訳者は固く信じています。引き続き、『ミルキーウェイ・プリンス』新訳版をどうぞ宜しくお願いいたします。ラブムー

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