「いじめられる方にも原因がある」って??

講義でさ、
「先生はいじめはいけないことだと思いますか?わたしはいじめられる方にも原因があるので、どっちもどっちだと思います」
みたいなこと書かれてさ。
まあこの話毎年1回くらい書かれるんだけどね。
いつも呆れ気味に説明するのよ。
「原因と責任の区別をつけるようにしてください。いじめられる人にも原因があるのは当たり前です。もちろん傍観者にも原因はあるし、なんなら見たこともない遠い祖先にも原因はあります。
しかし、いじめられる側に責任はありません。なぜなら選択できないからです。いじめる側は、いじめないこともできたのに、いじめることを選択しました。いじめられる側はどうですか?いじめられないことを選択できますか?いじめられる選択したのなら責任が伴いますね。まぁそれはいじめではなくプレイと呼ばれますがね…」

てな感じのことを言ってるんだけど、言えば割とスッと納得してくれるんだが〜…
この程度で納得してくれるってことは、かれらは単に、考えたことがないんだよな。

もちろん、原因と責任を区別した後、もっと考えるべきことはあるのだが…つまり人間の「選択」可能性とはなにかってことだね。これは結構難題なのだが。
だから、このとっても人間的な問題を考えるための手前にすら、到達してないんだよな。20前後にもなって…
彼らの多くは、「いじめはだめ!なぜならいじめはだめだから!」みたいな状態で大学に入ってくるわけよ。戦慄しない?

まあそんなわけで、他にも痴漢とかも「そんな格好をするのが悪い」とかゆー奴がいてて、同じ構造になってるわけで、
まあ社会的知?がだいたいこんな程度なんだよな〜

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