私という人生-中高編-
前回の記事→https://note.com/pirika_note/n/nd0757b84633e の続き。
私の中高生時代の話。
さて小学校を卒業し、中学がバラバラになると言う事もあって人間関係を一新しようとそれなりに張り切っていた。またイジメが無いよう、今度はなるべく明るく積極的にを心がけていた。
中一はそれなりに最初は順調だった。大人しく可愛いい友人ができ、そこそこ大人しく過ごしていた。
しかし、気づけばクラスではカーストが出来上がり、オシャレでませてる女子はいつも騒ぎ他校の男子やまたカースト上位の男子と「好きでは無いけど顔がいい」と言うファッション付き合いを繰り返していた。
もちろん私に彼氏などできるわけでもなく、すごい人種だ。どうやったらこんな明るい人生が送れるんだろう。と思っていた。親が毒な上、小学校は外出も制限されていたため友達になるにはどうしたらいいか本当にこの頃はわかっていなかった。
そんな中当時あるバンドが流行っていて、カースト上位陣はそれにとてもはまっていた。当時進研ゼミか何かに、その人たちが出ていて、たまたま切り抜きをその子に渡したところ大喜び。私をそこそこのポジションにつけようとした。「ああ、こうやって尽くせば人は仲良くなれるんだ」飛んだ歪んだ思考が生まれた瞬間だった。
中学は都内でも田舎の部類の都会に憧れるイキッた学生が多く、地元でも3本指に入るくらいの治安の悪い中学で有名だった。それもあり、何かにいつも怯えていたのを覚えている。
さて、中学にも慣れた頃割事件が起きる。一つ目は先輩にいきなり呼び出される。当時学校内でも有名な"ギャル"だった。なぜかその先輩に気に入られしょっちゅう呼び出されたり廊下で頭を撫でられていた。
そう言う事もあり、やっと普通に学生生活を送れると思った矢先だった。たまたまその時どうしても鼻の中に違和感を感じ教科書で顔を隠し、小鼻をボリボリかいた。
たったそれだけのことだ。
その日を界に男子学生に菌扱いされ、避けられたり地味な男子を飛ばしてきてわざと私にぶつけたりしてはい、妊娠などと言う悪質なイジメにあい出した。当時は全く気づかなかったが、鼻をほじっていると思われ、それを私の事が少しいいなと思っていた男子が幻滅し腹いせにいじめようと広めたらしい。
またか。。。絶望に打ちひしがれた。相変わらず家にも居場所がない。学校にもない。相談する友人もない。私には何もない、、そう感じていた。唯一の癒しは年の離れた弟で、おそらく依存の一種だろう。普通の兄弟よりうんと可愛がっていたのだと思う。その同じ環境での小さい彼にも居場所は私が最大だと思うし。
その頃本当に不幸は重なるものだ。母が私と弟を連れて家を出た。
超オンボロアパートに越して、トイレはいつも掃除しても掃除しても老化から染み付いた臭いが酷く、夜は天井をネズミが大運動会し、朝起きるとGと添い寝しているような環境だった。たまに食べられるほか弁ののり弁はご褒美ご飯で、幼いながらも貧乏なんだと確信し、何も言われないまま、近所の廃棄のパンの耳をいつも持って帰っていた。
そして中学は引っ越しで当然転校した。同じ都内だが下町に越し、ザ・下町田舎の中学に転校。そこは前の中学よりさらに治安が悪く、他校のヤンキー高校生が彼女のヤンキー同級生たちをバイクで迎えにきていた。
そこは本当に前者の学校と比べ物にならないくらい治安が悪く、転校初日から都会から来たイキったやつと言われ(2年の転校だったため先輩のお下がりを来たらスカートが短かったため)ヤンキーに即目をつけられまたもやいじめられ出した。主犯格の子は本当に学校の癌というかとにかく悪影響を及ぼす子で、しょっちゅう中絶で休んでいた。学年1トップの子はとても容姿が今風で可愛い子だったので目をつけられ、卒業を逃すほど下から数えた方が早い成績に落ちていた。
言わずもがな、そんな子に目をつけられてしまった私は、毎日のように死に行くような気分で学校に行っていた。受験が終われば解放されるから!との担任の言葉と当時は信じなんとか頑張って登校していたんだと思う。
しかしそれでも辛くなり、学校を休みがちになった。今考えれば当然だし、むしろよく行ってたと思う。そんな中担任は何度か家に来て学校に来るように促していた。そのヤンキーもなんとかするという条件と共に。
そして再登校が始まった。ダメだった。「お前チクっただろ」と言われいじめはさらに加熱。休み時間のたびわざわざいびりに来ては、校庭で私を見るなり消しゴムや危ないときは尖った金属製のシャーペンを投げつけられたりもした。
そして家に変えれば悪臭とGのフンがいつもある不衛生な環境。
これを書きながら自分の割と壮絶さに思い出しては不憫で耐えたことに驚いている。
また同時期、ほのかにいいなと思っていた男子に「顔が食パンのように四角い」と言われ勝手に失恋した。この一言が後の醜形恐怖症へと繋がる。
この頃母がなんとか私を高校に行かせるべく離婚寸前の父に連絡を取り、強制的にまたあの地獄の実家に戻る事になる。
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