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歳を重ねること自体が私たちに何かをもたらすわけではない。

誰しも、「嫌いな人」というのは存在すると思うが、

私にも金輪際顔も見たくない人が数人いる。

そのうちの1人が祖母だ。父方の祖母。血はつながっている。


90歳超えた今でも元気で暮らしているそうだが、最後にあったのは7年程前だから、祖母との話はすべて過去形で書く。



祖母は何歳になっても「女」だった。


昭和の一桁代生まれの祖母は裕福な家庭で育った。

母親が違う兄弟も何人かいたらしい。

当時では珍しく、女学校(義務教育ではなく中学校を卒業後に入るところ)を卒業しているということがまず1つ目の祖母の自慢だった。

そこでも自分は成績優秀で、運動もよくできた。
満州にいた時は、スケートの選手をやっており、いつも1番だったと言っていた。

思春期は戦時中だったため、辛い思い出が多いらしく、私に話すことは戦争前や戦後のことが多く、女学校を卒業してから祖父と結婚するまでのことはほとんど聞いたことがない。

祖父は医者だった。

今でも医者は他人から拝められる仕事ではあるが、当時は今よりも医者の地位が高かっただろうと思う。

20歳そこそこで結婚、子どもを二人産み、お金には全く不自由することなく生活していたそうだ。

そんな風に生活を送っていたからなのか、元々の性格の問題なのかわからないが、祖母はとてつもなくプライドが高かった。

何歳になっても着るものは高級品にこだわっていたし、美容院には月1で通う。いつも人からどう見られるかを気にしていて、男尊女卑が激しくて、父や兄の前での態度と、母と私に対する態度は大きく違っていた。自分も女なのに、自分のことは高貴なものだと思っていたようだ。

かと思えば、父の幼少期のことを教えてほしくて色々聞いてもほとんどエピソードを教えてもらえなかった。多分自分の子供にそんなに興味がなかったから覚えていなかったんだろうと思う。実際、父は裕福だったにも関わらず誕生日もクリスマスも祝ってもらったことがないらしかった。


また、祖母は人の悪口をものすごい言う。おそらく自分と関わるすべての人間の悪口を言っている。誇張はしてない。

近所の人でよく一緒にお茶をする人はもちろん、私や母のこと、それだけでなく、私の叔母にあたる実の娘の悪口も盛大に言う。

そして自分は1ミリも悪いと思っていないどころか、自分は世界一正しいので、相手を責めて頻繁に喧嘩をしていた。

聞いた話だと、90歳になった今は実の娘と金のことで揉めているらしい。

一体あの人はいつまで元気でいるつもりだろう。
早く死んでほしいという感情は全くないけど、あの人が死んでも泣かないだろうな、とは思う。

謙虚さというものは年を重ねるだけでは得られないということが、祖母を見ているとよくわかった。


祖母はサイコパスなんだと思う。

あんなに性格が悪い人というか、人の気持ちを推し量ることができない人はそうそういない。

高齢の人は敬えだの、血の繋がりを大事にだの、意見はいろいろあるかもしれないが、この世にヤバイ奴っていうのは一定数いる。ヤバイ奴は歳をとってもヤバイ。ヤバイ奴からは逃げないと自分だけが被害を受ける。どれだけ抗ってもそこで得るものは1つもない。

おばあさんというものは弱くて優しいイメージをもっている人にしたら、祖母をディスりまくる私は鬼畜のように思えるかもしれないが、そう思うなら私の祖母を1か月貸し出そう。

きっと祖母はあなたの常識を覆してくれるだろう。


祖母から学んだこともある。

祖母との関係が最悪になる高校生ぐらいのときはほとんど会話をした覚えもないし、たまにする会話は嫌味と攻撃ばかりされてたから思い出らしい思い出は何もないけど、小学生のころは嫌味はあれどなんだかんだでよく構ってもらっていた。

祖母に子どもや孫を可愛いと思う感情があったようには思えないから、根本的には何かしら自分の欲を埋めるために私に構ってただけだとは思うけど、色々教えてもらってた事実には感謝している。

祖母は手先が器用な人だった。
包丁の使い方、卵焼きの作り方、裁縫、編み物、習字、絵、等は一通り祖母に教えてもらった。

母は手先が不器用すぎるため、早い段階から自分でボタンを付け替えたりできたのはとても役に立ったし、今でも卵焼きには自信がある。


でも一番感謝しているのは戦争体験を日々語ってくれたことだ。

上記でも書いたように、嫌な思い出だったようだからあまり情報量は多くはなかったけど、現代では考えられないような当時の常識は私を驚かせた。

学校では勉強を教えることが中断され、飛行機の設計図の線を引いていたり、空から爆弾が落ちてくること、満州での生活。

中でも特に印象に残っているのが、特攻隊として戦死した婚約者の写真だ。

そんな写真が手元にキレイに残っていること自体が、今考えるととても貴重なことだと思うが、小学生の私にはその価値はよくわからなかった。

しかし、特攻隊とは何なのか、戦争によってもたらされる生活の変化や、諦めなければならないものの大きさを、リアルに感じることができた。

生殺与奪を行使するのが『国』であるのが、戦争だということ。それがない今の時代がどれだけ幸せなことか。
ふとしたときに、命を奪われる危険に晒されないことにありがたく思うのは、あの時話を聞いていたからだと思う。


歳を重ねること自体に意味があるとは思えないけど、限られた時間の中で何を経験し何を感じるか。
そしてそれを誰のために使うのか。

そこに何か意味があるのかもしれない、と私は思う。














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