心の棚に灯りともして
そういえば、夏休みに入ったんだなぁ。noteを読んでいてぼんやりとそう思った。
僕たち夫婦に子供はいないので、そういう季節感があまりない。いつだって僕らは2人で、暑い寒いといいながら思い出に色を添えている。
心の棚に飾られたそれらを眺めながら「また2人が彩られたね」と確かめ合う日々。
写真が並んでも埋まらない空白は、子供ができたら埋まるのだろか。
なんて思いながらも、目に見える多忙の毎日に「やっぱできなくてもいいよなぁ」と二の足を踏む。ためらいなど関係なしに、できるときはできるのだろうけど。
*
noteには子育てのことを書く方がたくさんいて、読んでいるとその生活をつまみ食いした気持ちになれる。
幸せなことばかりじゃない。苦かったり酸っぱかったりする味の奥に、それでもいつもあたたかさを感じるんだ。
それはやっぱり、親の愛があるからだと思う。
パパママのみんなが夏休みの大変さを書いているけれど、多くのnoteから「子供に夏休みを楽しんでもらいたい」って気持ちが伝わってきた。
すごいなぁ。僕ならきっとそんな風に思えない。暑さと多忙に削られて、子にも嫁さんにも冷たい態度をとってしまうだろう。
日々様々な反省をしていることだろうけど、僕からすりゃその気持ちがあるだけで超偉い。誉められに足りまくる。毛が無くなるほどなでなでされていいよ。
*
そんな風に思っていたら「自分はどんなことをしてもらってきたかなぁ」と、両親のことが頭に浮かんだ。
コーヒーを飲みながら記憶を辿ってみる。
お母さんには 守ってもらった。
不登校になった時。姉も父も理解を示さない中、母だけが僕の痛みに触れようとしてくれた。
引きこもった僕を攻めず、ただ一緒に散歩をしたり、買い物に行ったり。
勉強しなさいと言うのもやめてくれた。それ以前は宗教上の教えからおしりを靴べらで叩かれたりもしていたけど、それもやめてくれた。
大人が子供のために反省しあり方を変えるというのは、簡単なことではない。あの勇気ある方向転換ができた彼女を尊敬している。
僕にフリースクールの相談をするのだって、勇気がいったと思う。あれがなければ、僕はきっと今ごろ無職でゲームばかりしていただろう。感謝しかない。
小学校でも、中学校でも、高校生になっても、お母さんにしか気持ちをぶつけられなかった。不器用な僕をずっと守ってくれていた。彼女がいなかったら、生きてこれなかった。
お父さんには 色んなものをもらった。
僕と友達が遊ぶなかに、一緒に入ってきてくれた。独楽の遊び方や、ビー玉の遊び方を教えてくれた。それだけじゃなくて、友達とやるゲームにも一緒に入ってきてくれた。
お母さんだって入ってくれたけど、それはお父さんがはじめに場を作ってくれたからだ。僕の家が遊び場になったのも、きっと父上隊長がいたおかげだ。
呑み助なあの人は、よく仕事を抜け出して居酒屋やスナックへ行っていた。僕はいつも家にいたから、それをよく目撃した。たまに連れていかれることもあった。
そこで飲むウーロン茶やココアは、家で飲むのとはなんだか違って、おいしかった。
親のダメな姿を見れるというのは幸福なことだと思う。僕が柔軟でいれるのは、お父さんのおかげだ。
ひどく短気なお父さん。頑張る姿、だらけた姿。反面教師のほうが多かったけど、彼のおかげで今の僕がある。
*
大好きなお母さん。嫌いで好きなお父さん。結局どっちも 大好き。
こうして二人のことを考えていると、胸がほんのり暖かくなる。
この灯火をバトンしていくのが、子育てなのかなぁ。この気持ちがあるなら、僕にも子供を愛せるだろうか。
自信はないけど。心の棚の写真が3人になるのを想うと、幸せだ。それでいいよね。
ここまで2人が暖かく歩いてこれたからこそ、こう思えるよ。幸せだ。これでいいよね。
僕をサポートすると宝クジがあたります。あと運命の人に会えるし、さらに肌も綺麗になります。ここだけの話、ダイエット効果もあります。 100円で1キロ痩せます。あとは内緒です。