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可愛い僕のまぼろし

むかし、女装をしてたことがあった。

可愛くなりたいって願望をずっともっていた。小学生時代、姉の友人に「かわいいー!」と誉められまくったのがきっかけだったと思う。
言われて照れている反応をふくめた年上のお遊びは、僕の自意識に少なくない影響をあたえた。

その誉め言葉の甘い蜜は、ずっとぼくの胸に残っていた。
当時姉がひどいアトピーと肌荒れに悩まされていたのと反対に、僕の肌はその若さをありありと讃えていた。
そして周囲が遠慮なしに「逆だったらよかったのにねぇ」と言うたびに、言い知れぬ優越感をあじわっていたのだ。

ぼくはおとこのこなのに、おねぇちゃんよりかわいいんだ。

じわじわと湧く愉悦に、口角があがるのをおさえきれなかったことを覚えている。

時は過ぎ、姉の大学の文化祭に遊びにいった時のこと。門をぬけてすぐの、ひとつの店が目にはいった。

メイド写真館。

大きめのテントといった風体の怪しげなその店は、メイド服を着せてもらい写真を撮影するというコンセプトの場所だった。ペラペラの外装には参加者の写真が何枚も張り付けてあった。
15分くらい店の前でまごついていたが、意を決して突入する。

「あの・・・男ですけど大丈夫ですか・・・」

その後の反応は正直折り込み済みだった。おもいもよらぬオモチャの到来だ。女子大生達の黄色い声があがるのに時間はいくほどもかからなかった。

かくしてメイド姿となったぼく。嬉々としてあがる誉め言葉の数々は、まさしく待ち望んだ快楽だった。

(あぁ、やっぱりぼくはかわいい!おとこなのにかわいいんだ!)

あの頃のように照れたふりをしながら、心のなかではドップリと悦に浸りきっていた。
写真は即座に印刷され、彼女達は一枚ずつ吟味しながらとくに良くとれたものを選び、外装のギャラリーに仲間入りさせる。

ホクホクとして店を出たぼくは、すぐにその写真を見にいった。

そこには、ただメイド服を着ただけの男の子がいた。

・・・これは、かわいいのか?

いや、かわいいと言えばかわいいけど、なんか、違う。
自分のイメージでは、そこに女の子に負けるとも劣らぬお人形さんが写っているはずだった。でも、これは両手離しで可愛いと言えるようなものじゃ絶対にない。普段通りの短髪に飾られたヘッドドレスは、明らかに浮いてしまっている。これをかわいいと呼ぶなら、馬子にも衣装という意味のほうがつよいんじゃないか。

複雑な感情がぼくの胸にたまっていく。
さきほどの楽園の余韻。めのまえの半端な写真。かわいいと思いたい自分と、ヒビの入った理想。
ぼくの体も顔も、どうしようもなくただの男だった。

その後、とうとうメイクに手を出した。
ダイソーで100円コスメを揃え、とりあえずなんとなく化粧をしてみた。
鏡の前にはなんだかへんてこりんな自分がいたが、可愛くなった気がしなくもなかった。

当時やっていたSNSには女装のコミュニティがあり、そこに写真を投稿してみた。
気をつかわれた。なんでもそうだけど、人目にさらしてはじめて気づくことがある。最初の印象は間違ってなかった。違ったとすれば、へんてこりんを通り越した醜さだったということだけだ。

何度もかわいい自分の幻と醜態を行き来しているうちにメイク技術は上がり、僕は僕という男を上手に隠せるようになっていった。
駅のトイレでメイクをしている時、入ってきたおじさんが「ごめんなさい間違えました!」と言って出ていった瞬間を覚えている。あのときの喜びといったら。

でも、そこまでだった。
男をうまく隠せても、ぼくは女の子にはなれなかった。いや、隠せてもなかったと思う。
いつでもそこにいたのは「女装」した自分だった。

SNSのコミュニティにあがる、クラスの女の子より可愛い写真達。
それを羨みの目で見る毎日だ。僕も変わらず自撮りしていたが、もうわかっていた。
コメントでどれだけ可愛いとか綺麗とか言われたって、あの頃のような快楽は生まれなかった。

いまじゃもう、すっかりおっさんになってしまった。
でもね。ヒビの入った理想の自分は、まだ心のなかにある。

可愛くなりたかった。水玉の服や、パステルカラーのスカートを着たりしたかった。

可愛くなりたかった。小さな顔、くりっとした目、サラサラの髪がほしかった。

・・・可愛くなりたかったな。

みつめると、自然に頬が染まっちゃうくらいに。

僕をサポートすると宝クジがあたります。あと運命の人に会えるし、さらに肌も綺麗になります。ここだけの話、ダイエット効果もあります。 100円で1キロ痩せます。あとは内緒です。