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"ビビり"は最強の武器である

あるとき、はっとしたことがある。

それを、いつか、書こうと思っていた。




怖がり、ビビり、ネガティブ、小心者、、、、、、


こういう性格は、一見マイナスイメージ。


”短所は長所” と言えばよく聞く言葉だな、となってしまうが、

臆病な性格が、私を生かしているな、と気づいたことがある。



怖いもの知らず、何があっても対応できる、ひとの目も気にしない、我が道を堂々と生きる。

そんな人間がスターとして、有名になっていくイメージはある。

実際に、そういうひともいると思う。



ただ。



そういうひとを見たときに、自分自身を悲観しなくていい。

だって、人間みんながそういうひとになれるんだったら、そのひとは有名になんかなっていない。それが普通になるから。




『臆病であれ』


これは、ナインティナインの岡村さんが、心の不調から芸能界に復帰した後、NHKのプロフェッショナルのSPで、とある左官屋さんに言われた言葉。

これを、確か私は録画していて、観たときに妙に記憶に残った言葉だ。

左官の作業は慎重でないと、壁を塗った後不具合が生じる。できた、と思っても、いつもその方は何度も確認する。

臆病でいい、慎重でいいという、岡村さんのようなひとへのメッセージだ。


怖がり、ネガティブは、悪いことじゃない。




YouTubeチャンネル『カジサックの部屋』でも、心を病んだことがある同士のキングコング梶原さん×NON STYLE石田さんのトークの中で、石田さんがこんなことを言っていた。

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そうか。

防衛本能か。


ある種、野生動物に近いという考えかもしれない。



※ちなみに、動画では結構深い話をしていますが、カジサックがかなり酔っています。





私が ”ビビりでよかった” と思ったこと。

とある場面で、一線を越えられない、かつ、これからも越えられないのだろうと、確信したときだった。




鬱病の私。

もう治療は9年生になる。


だいぶ、だいぶ、回復してきた。

でも、

まだ、何かしら(主に家族のこと)でパニックになって、自分を責めて理性を失ったときに、

本当にときどきだけれど、


包丁を持ってしまうことがある。




かつて、あまりに母が父の影響で狂いそうになっていたときに、父にその刃を向けてしまったこともあった。

最低な娘だ。



でも、基本的に、向ける相手は自分。



自分、



なんだけど。





私は、

痛いのが苦手。

血を見ることが苦手。

グロテスクなものを見るのが苦手。



だから、

いざ包丁を持ってみると、

手首、胸などに刺そうとしても、




刺せない。



いつも。




悔しい。

そのときは。


自分なんていなくなりたいと思って、こういう状況になっているから。



いなくなれない。


悔しい。



私がいたら、みんなが困るから。自分は最低だから。




でも、

理性を取り戻してあとで考えてみたら、

もし私がビビりじゃなくて、痛いのも平気で、血を見ても、この先がどうなっても、全く怖くない人間だったら、


私はとっくに死んでいた。


本当にそう思う。




自分は、もう、包丁を持っても自分のことを刺すことはできないんだ、

って気づいたのは、実は結構最近で。




今後も、きっと刺せないだろうな、という、確信もした。

どこかで。



また、理性を失うことがあったときに、自分がどうするかは全く分からないけれど、

私は生きることからは逃げられないみたいだ。



生きなければならない、理由がきっとあるんだ。




”ビビり” って、ひとを生かす力を持っている。




こんなエピソードで申し訳ないのだけれど、

ビビり、臆病、弱き、怖がり、ネガティブその他で悩んでいるひと。



そのままでいい。




きっと、生きたいから、怖いんだ。


そういうひとには、すぐに動くのが怖いから、慎重にやってみて、結果的に助かったりしたこと、きっとあると思う。



性格は変えられない。

臆病な自分の性格が、自分自身を助ける日がくることだってあるんだな、

って、私は今思っている。


変えなくていいんだ。



おかげで、今、生きている私がいる。

今の私は、社会に出られるひとになるために、サポステの支援も借りながら、やりたいことをなんでもやってみている。

まだ、心身はついてこないけれど、たのしい。



生きていて、よかったよ。



明日、何が起こるのか、自分がどうなってしまうのかは、分からないけれど。


それは、みんな同じこと。




私が、回復していく、やりたいことをやれるようになっていくことでしか、父にも母にも恩返しできないので、進んでいくよ。




そのまま、いこう。

進めなかったら、その日は無理に進まなくてもいい。



毎日書く!と決めたnoteも、ときどきしれっとお休みしている。

やりたいこと増えすぎて、全然追いつかないから。



何があっても大丈夫。


生きていれば、なんとかなる。

生きていないと、変わっていかない。

今がすぐに変わらなくても、生きていれば、なんとかなる。

生きていないと、何も目の当たりにできない。




自分に、言い聞かせるように書いている。



強くなりたい、ポジティブになりたい、生きることに器用になりたい、周りをみて気遣いできるひとになりたい。

思うことはいっぱいあるけれど、この自分で生きていくしかない。


臆病は憶病なりに、不器用は不器用なりに、頑固は頑固なりに、考えすぎ人間は考えすぎ人間なりに、、、、、、



仕方がない。


でも、たのしく生きていかなければ、自分がかわいそうだ。

そして、自分がたのしく生きてなければ、周りにも申し訳ない。



憶病でいいから、たのしもう。


たのしくなければ、とりあえず、息を吸って、生きていよう。



それだけでいい。



そう、言い聞かせ続けた日々もあった。




余計なことも書きすぎたかな、、、、、、





ビビりは、最強。


短所を愛するのは難しいけれど、いつか、その短所にも助けられる日がくるかもよっていう、お話。





10年生になる前には鬱病を卒業したいけれど、

”結果はあとからついてくる” 的な考え方で、今、やりたいことをやろう。

そうしたら、いつか、気づいたらよくなってた、、、、、、っていうことがあるかもしれない。




これを呼んでくださったひと、誰かひとりでも、心が軽くなりますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。