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"奇跡は起こる"と中島美嘉は私に教えてくれた―完全復活の意味―

私は、アーティスト中島美嘉さんがだいすきだ。

アーティストとしても、そして、その生き方も。

勝手に、人生の師匠だと思っている。

何故か、”私は彼女の背中を追っているなぁ”、と思うことが多いのだ。


※私と中島美嘉さん関連のことは、こちらから。


、、、、、、すきな気持ちをつづり始めるとキリがないので、早く本題に入ることが私の目標である。

いこう。



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11月4日、夜。


私のTwitterのタイムラインに、こんなものがとびこんできた。




、、、、、、、、、、、、え!



もしかして、この、『THE FIRST TAKE』って、

あの、今話題の、

一発撮りの、

あの、


、、、、、、、、あ、あれだよね?



ギリ昭和生まれの、決して若者とは呼べない私は、情報として聞いたことしかない。自分で再生しに行ったことがない。

でも、たくさんのひとが視聴する、大人気YouTubeチャンネルだということは、確実にわかる。


若手だけでなく、ベテランのシンガーの方々も出演しているのも知っていたが、これに、わたしの大尊敬する、デビューから20年の、中島美嘉さんが出演するというのは、もしかして、すごいことかもしれない、、、、、、ということは感じた。


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正直、今、だいすきなアーティストを追うことから、逃げている。

すきすぎて、映像を観てしまうと、気持ちが高ぶりすぎて心が、疲弊してしまうのだ。

これは、鬱病のせいだと思う。

そして、アーティストに関することで情報過多になってしまうと、体力的、金銭的に、リリースやLIVEを我慢していることがつらくなってしまうので、あくまでもマイペースに、と言い聞かせながらSNSなどを追っている状況。ファンの仲間でつながることも、どうしてもついていけない自分が悔しくて、悲しくなるので、今はしていないのだ。


でも、これは、YouTubeチャンネル。

無料で観られるし、せっかくの機会だから、プレミア公開になっているこの動画、翌日の22時ぴったりに、観てみようと思った。



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11月5日、22時。


プレミア公開ならではの、再生までのカウントダウンの映像。


こんなに前から、カウントダウンしなくても、と思う私、、、、、、


あああぁ、ばくばくしてくる心臓。



そして、

薄暗い画面に、

" T H E  F 1 R S T  T A K E "

、、、、、、という、赤い文字が躍る。





現れる、アーティスト、中島美嘉。


歌うのは、中島美嘉楽曲の中で最も世に知られている『雪の華』

でも、衣装は、冬とは逆の雰囲気の、透け感のある赤いデザイン。

そういえば、さっきの文字も、赤かったな。




現れてすぐ、彼女は声を整え、少しストレッチしたあと、目くばせをする。


その相手は、長年彼女と共に音楽を奏でてきたピアニスト、河野さん。

そして、いつものアコースティックLIVEではおなじみの、ベースの海老沼さんもいる。

顔は出ないが、わかった。

アコースティックバージョンとなっていたので、LIVEは音沙汰の私でも想像ができる。


”このいつメンなら、安心だろう”。

勝手に、保護者のようにそう思い、祈る。



ピアノから始まる、『雪の華』。



ファルセットが中心の、やさしい歌いだし。



2番に入ったあたりから、


ときどき、手を動かし、要所要所に、力が宿る。



身体から、力が、想いが。


この、LIVEに行って感じるような、この感覚。


そして、どんどん、力強く、強い思いが、あふれ出る。

でも、はかなげで、涼しげで、繊細で。



そして、終盤、ぱっと映った足元が、


裸足だ。



、、、、、、、、、、久しぶりの裸足。



そこで、少し、18年前の発売当時にタイムスリップしそうになる。



最後。


目くばせと手の動きで、河野さんと息を合わせ、歌唱を終える。




すると、


にこっと。


、、、、、、、、、、笑った。



わあ、、、、、、、、、、




あがり症な彼女。

耳の不調と闘い続けている彼女。

その彼女が、歌唱後に、笑う。


それだけで、私の世界はしあわせだ。



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パフォーマンス後。


私は、何度も繰り返して観るなんてことはできない。


だって、一回の視聴で、こんなにいろんな感情が溢れて(言葉にできないけれど)、心が大きく動いてしまったのだから。



はぁ、、、、、、と放心状態になっていた私。

10分後、とりあえず動画のコメント欄を見てみた。



「完全復活!!!!!」

「復活だーーー!!!!!」



、、、、、、、、と、いうような、ファンらしきひとたちのコメントで溢れていたのだ。


あと、動けずにいた間も、チャットで、「完全復活」という言葉が、ばんばん飛び交っていた。




復活、、、、、、、、、、?



彼女が”耳管開放症”という不治の病と付き合いながら歌い続けていることは、知っていた。

でも、それはもう、10年前から知っているし、治らないもので、、、、、、



、、、、、、、、、、ってことは?




え、耳のこと以外にも最近、体調を壊していたの⁈


えーーーーー、何があったの⁈



急に不安が襲ってきた。

復活とファンが言うならばもういいことなのだろうけれど、何があったんだ?


Twitter検索してもわからない。

どうしたんだろう?



でも、何かしら復活した状態なら、大丈夫か、、、、、、


そう思い、とりあえず、話し相手も居ないので感情を整理するツイートをしながら、寝た。


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この、「完全復活」の意味を知ることになったのは、録画してあってまだ観ることができていなかった、フジテレビの『MUSIC BLOOD』という番組。

MCは田中圭さん、千葉雄大さん。一組のアーティストを招いて、対談しながらそのひとのルーツとなった音楽を探る、という音楽番組だ。

中島美嘉さんが出演していた回(10月22日放送)を、その『THE FIRST TAKE』の配信の3日後に、ようやく観ることができた。

家族は出かけ、居間にひとり。

そうだ!観よう!

心はドキドキだけれど、今しかない。


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番組では、20周年を迎えたことや、そして、これまでのストーリーを映像とともに振り返る。

華々しいデビューとともに、欠かせない話題になってしまうのが、

10周年記念LIVEの中止、”耳管開放症”による活動休止のこと。


私も記憶にある、わずか半年での復帰。

このときのことを、

「スタッフさんが心配して、”まだ?”と声をかけてくれるので、負けてしまったんですよ。”もう少し待って”、と言えなかった、私の判断ミスです。」

と彼女は語った。

”ようやく、話せたんだね、辛そうだったな、、、あの頃。”

と、また私は勝手に保護者になる。


”耳管開放症”とは、耳の中の耳管という部分が閉じなくなり、耳が詰まった感覚、自分の声が大きく響くなどの症状が出るもの。

「治らない」という診断をされた彼女だが、それでも歌手活動を続けるにあたっては、なんとか、症状とうまくつきあっていくしかなかった。


活動休止前から異変があったが、言い訳をしたくない、という思いで、周りに打ち明けることなく仕事を続けていた当時の彼女。うまく歌えないというストレスから体重が減少、その体重減少がさらに耳の症状を悪化させるという悪循環に。結局、10周年記念ライブを前にして、ダウンした。

このとき、活動休止のお知らせと共に、次のLIVEのチケット受付のお知らせがきたのを覚えている。”噓でしょ?”と思った私。心底不安だった。



「復帰した、ということはもう”治っている”と思われる。でもそうではなかった。でもそれを言っても仕方がない。その日のベストを尽くすしかなかった。」

と、復帰後のことについて話した彼女。

復帰からこれまでの、闘っていたつらい時期のLIVE映像を観ながら、

「ああ、ひどい」

「ごめんなさい」

と、スタジオで話す彼女。


(、、、、、、今思えば、ここで、気づいてもよかったのかもしれない。完全復活の意味に。)


私ももちろん観たことのある、吠えるように、魂で歌う姿。

不完全であろう状態ながら、想いを、世界感を、伝えようとする姿。


自身の耳の調子とうまく付き合うことができてきた状態であろうときの、LIVEに参戦したことがあるが(鬱病になってから3回ほどLIVEに行けた)、2016年のLIVEでは、始まりから心を惹きつけられ、生まれ変わったように見えた。この姿に、這い上がる強さを感じた。

だから、私は彼女の背中を追っている。


ただ、私も鬱病になって感じるが、右肩上がりに調子がよくなっていくとは限らない。波がある。きっと、誰も知らないところで、苦しみ続けたのだろう。

思い通りに歌えない、そのこととひとり向き合う孤独。

そんなときに、amazarashiさんから『僕が死のうと思ったのは』という楽曲を提供され、あまりに今の自分の心情と重なり号泣。「これは私が歌うしかない」と思ったという。


タイトルも歌詞も、結構な衝撃があるが、私自身は、自分が鬱病になって実際に”死のう”と思った経験をしてから、やはりこの曲が沁みるようになった。




ひとの心の”痛み”に寄り添うことを担当しよう、と思いながら活動している、”表現者”、中島美嘉。



そんな、中島美嘉の”転機”を、MCの田中圭さんに聞かれると、



「今です」


と、笑顔を見せたのだ。




「言うつもりなかったんですけど、、、、、、」





「聴力が、復活しまして。」







えええ



えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!



嘘でしょ⁈

治らないものなんじゃなかったの⁈





家族もいない居間、私はひとり。

この、極限に高ぶった感情を、自分の中だけで処理しきれず、立ってみたり、うろうろしたり、、、、、、とにかく、衝撃だった。


治らない病気と向き合いながら歌い続ける、ということが、”中島美嘉”の宿命なのかと思っていた。



「この15年くらい、耳のこと、いろんなことと闘ってきたんですけど、急に何もなくなった。本当に最近、突然ボコッと、耳が聞こえるようになった。”またああなったらどうしよう”、というのはあるけれど、もう治ったのかな?って思うくらい。」




わあ、、、、、、、、、、、、、、


よかった、、、、、、、、、、、、、



すごい、、、、、、、、、、、、、、



よく、医者が「これは治りません」と言ったのに劇的によくなった、というエピソードはTVでもよくやっているけれど、本当に、たとえ一時的でも、そういうことが、実際に、起こるんだ、、、、、、


自身が言うには、回復した理由は不明。ただ、コロナ禍でゆっくり過ごし、生活を変えたりできたことがよかったのかな、ということは話していた。

休むって、大事なんだなぁ。


田中「こういっちゃあれですけど、、、本当に”奇跡”みたいなこと?」

中島「本当にそうです」「嬉しいです」



先日までLIVEツアーをしていたのだが、近しいマネージャー以外のスタッフには、聴力の回復に関して特別報告しなかったという。

でも、明らかに美嘉さんの様子が違うので

「何かありました?」「楽しそうだよね?」

と、気づかれたという。




回復したことによって、いちばん嬉しかったこと。

それは、

「音程を外したのがわかることでした」




、、、、、、、、、、そうか。


今まで、音を外しているか、正しいか、わからない状況で歌わなければいけなかったのか。

ずっと、ずっと、不安の中にいたことは、この言葉で一気に伝わる。


だから、さっき観た過去の自身が歌うシーンも、今現在の耳だから「ひどい」という、自己評価ができるんだ。

自分の歌が、どう聞こえているのかもわからない。

それまで、自分の過去の映像を、どこまで観られていたのだろう。


今、ようやく、自分の耳でたのしんで、歌が歌えるようになったんだ。

20年目にして、やっと、たのしんで歌うことが、できるようになったんだ。


つい最近歌われた、『雪の華』のLIVE映像が流れたが、

声が、繊細で、美しくて、感情も伝わる。

とにかく、美しいのだ。



もともと、私は、中島美嘉さんの、美しいファルセットがだいすきで。

この番組の最後でも歌われ、美嘉さんが笑顔で歌い終えたこの曲。作詞も中島美嘉氏自身が手がけた。

私のお気に入りのファルセットが、存分に生きて美しい音楽になっている。


ご本人が、この収録のときに耳が回復していたかはわからないが、自分の声の美しさに、今、美嘉さん自身も気づいていたらいいなと、心から思う。



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この番組を観て、ようやくわかった。


『THE FIRST TAKE』のときの

「完全復活」

という、ファンからのコメントの嵐の意味。



そういうことだったのか。



こんな、嬉しいことはない。


私のだいすきなひとが、歌うことに対して

「いやー、楽しいですよ」

と話す、あの、心からの笑顔を、忘れられない。



”中島美嘉”という存在はいつも、病と闘う私の、希望になっている。

自身のどん底から、這い上がる姿。

自身と向き合い、パワーアップしていく姿。


そして、

今、私に見せてくれているのは、



「奇跡は起きるよ」



ということ。



何がきっかけで、どうなるかわからない人生。

それは悪くも、そして、良くもであることを、忘れてはいけない。




嬉しくて、後日これを母に話してみたら、

「よかったね!それは私も嬉しい!」

と、喜んでくれた。



と、いうのも。


母も、私より前からメンタルクリニックに通っている。病名は私と似たような感じで、メンタルが落ちたり、それに伴って体調を崩したりする。

昨年あたりに、母は”唾石症”というものになった。唾液の出る腺に石ができることで、唾液がうまく出ずに食事をしても痛くなったり、あごの下の唾液腺が腫れたりする。幸い、母の場合は総合病院ですぐに石が見つかり、あっという間にとってもらえた。

ただ、その後、ストレスを感じると、唾液腺(あごの下)を触って分泌を促しながら「口の中が痛い」「喉まで痛い」と言うようになる。

唾石症は、原因が不明らしい。だから、母も癖になるのではと思っているようだ。ただ、石をとったのに唾液が減って口が痛いほど渇くことは、唾石症と関係あるのか、、、、、、

きっと、私が鬱症状で頭痛やらなにやらこまごまとした症状を起こすように、母のそれも調子が悪いとき、不安が強いときの症状のひとつだろう。



とはいえ、

「”〇〇症”って、一生治らないものにつく名前かと思ってた。美嘉さんがよくなったなら、私の唾石症も治るかも。嬉しいわー!」

と、母も自身のことに関して希望を持てた様子だった。




たったひとりに起きた奇跡によって、私や母だけでなく、もっともっと、たくさんのひとが、自分自身のこれからに希望を持てるんだ。



気を付けなくてはいけないのは、”回復した”、”完治した”ということが、一生を保証することはないということ。

ご本人も話していた通り、もしかしたら、また再発することもあるかもしれない。


”再発したらどうしよう”

という、これから新たな不安と向き合うことにはなるかもしれない。


ただ、

「今が楽しい」というこの、

”今”は、

今しか味わえない。



どうか、今という、完全体に近い自分を、たのしんで、しあわせを、かみしめて、たくさん歌声で、表現して、届けてほしい。


そして、”今のうちに”と焦って、無理なことは、詰め込まないで。


ありのままの、”中島美嘉”を、見せて。



あなたがうれしいと、私もうれしいから。




きっと、今の美嘉さんの状態が、

鬱病から回復した、将来の私の状態で。

治療しながら社会に出ようとするのか、回復してからかわからないけれど、きっと、すっきり元気になったときの解放感と、”再発したらどうしよう”の不安。

ああ、私の何年か後は、こういうことになるのかもな、と。



、、、、、、やっぱり、どうしても、”中島美嘉”は、私の少し先を行く、師匠だ。

結局、いつも、背中を追っているのだ。


勝手な思い込みだろ、と言われようが、放っておいてほしい。



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中島美嘉師匠。

また、素敵な姿を見せてくれて、ありがとうございます。

どん底に落ちてから、景色はだんだんに明るくなるものだと思っていたけれど、

奇跡って、突如起こることが、あるのですね。


どうか、今というときを、心からたのしんでいてください。

私も、また逢いに伺える元気が出るときがくると、信じます。


祝、200万回再生!!!!!!!!

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、、、、、、、、、、こんなに長い記事を、書いてしまった。


この自己満記事を、最後まで、読んでくださった方がもし、いらしたら、、、、、、、、、、、、

ありがとうございます。



そんな、素敵なひとにはどうか、小さくても大きくても、何らかの形で奇跡が起きますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。