見出し画像

とあるひとの、生きてきた道

昨日は、かなり具合が悪く、noteをおやすみした。


からの、今日。

ちょっと、踏ん張って、母の実家まで、行った。

母と妹と、3人で。


祖母は、母のストレス&不安の種。

祖母からの電話が鳴るだけで、母は声の出が不調になる。

連絡は私がなんとか取り持つが、できることはそれくらい。



祖母は、県内の、我が家から車で1時間半くらいの場所に、おじと住んでいる。

広大な田んぼと、山。

そこにある一軒の家。


祖母は、代々農家である家を、女手一つで必死に守ってきた。


旦那(私から見て本来祖父、母から見て父親)を早くに亡くし、その旦那の両親の世話をしながら、2人の娘を育てながら、農家であるこの家を守るために必死だった。

長女には婿がとれるようにたくさんの習い事をさせ、

次女にはどこに出してもやっていけるように下宿などさせた。

長女は、男性を紹介しては断られ、また連れてきては断られ。

跡取りにふさわしいひとということで、なかなか許しを得られない。

ようやく、結婚して、婿に入るひとがみつかる。

が、子どもができなかったのだ。


長女は、他の男性をみつけた。大変に揉めた。結果、いろいろあり長女は実家と縁を切り出ていくことになった。もう、この集落ではなく、遠くに住んでくれという約束をし。

そして、その婿入りした長女の元旦那が、その家に残ることになった。


実家が大揉めの頃、次女は結婚し、第一子を産んだばかりだった。

実家のごたごたがストレスだったのか、思うように母乳が出ず、哺乳瓶を嫌がる我が子は泣き続けた。

そして、長女が実家を出ていったことで、中学時代から実家の外で生活していたはずの次女は、長女のような役割を、突然担わなければならなくなったのだ。

離れて暮らしてはいたものの、結婚後も農作業の時期には行かねばならず、旦那を失い1人で頑張ってきたがゆえにたくましくなってしまった、以前とは違う、きつい口調の母親の電話に付き合い、心配し。

その一方では、姑からうける、数々の嫌味に耐え続け。

落ち着きのない、そしてよく体調を崩す目の離せない第一子、とにかく泣き虫な第二子を抱え。

旦那は仕事ばかりで、遅く帰ると酒を飲み、寝て、朝また出ていく。休みの日も、子どもとでかけたりなんてしない。妻が姑(自分の母親)に悩んでいることも気にかけず。家のことを、何一つ決定することなく、妻に全てを委ね。妻の実家の農作業の手伝いも、失敗ばかりで全く役に立たない。


全部、全部、ひとりで抱えてきた。

全部、自分がやるしかなかった。


その、次女こそ、私の母だ。



祖母は、跡取りを残すため必死に手塩にかけた長女に、裏切られることになったという立場。

私の母は、習い事ひとつさせてもらえず外(おそらく親戚等)で生活させられてにも関わらず、今後の自分の母親のこと全てを、自分が面倒見ないといけないという立場。


遠く(東京など)へ嫁ぐ約束をしたにも関わらず、長女は結局浮気した男とは実家から近くの距離に住んだようだ。祖母や、家に残ったおじは、その一帯中で馬鹿にされたという。

おじが残った理由は私も真実を知らないが、相当な決断だったことには違いない。



私が小学生の頃、母の実家にいくとおじが怖くて、隠れていたような記憶がある。

日焼けして、タンクトップ。そして、実際よく声を荒げていた。怖い印象を受けていたのも無理はない。



今はどうだ。



祖母は、喘息と長いこと診断を受けていたが、ここ数年で、喘息ではなく、

肺線維症という病気で、治らないということがわかった。

もう、長くはない。


母としては、自分の唯一の親に死期が近づいていること、加えてその唯一の親の物忘れがだんだんひどくなっていること、でもそんな祖母が口だけは元気で話す言葉が刃物のように心に刺さること、、、、、、

かなりの不安とストレスのよう。


でも、母の実家には、おじがいてくれる。

おじは、仕事がてきぱきとでき、しっかりしている。物事をはっきり言うところは祖母と同じで、ケンカもまだしているようで、おかげで祖母が元気でいられている気もする。祖母がだんだん作業したり動けなくなってきたので、今は毎日料理もし、腕がどんどんあがっているらしい。

母は、以前、気の強くわがままな祖母をおじに全て任せていることを、おじに謝ったことがある。だが、おじは、祖母に対して本当に感謝しているし助けられている、という話をしたそうだ。


母の実家の複雑な事情、こんなところに書いてどうするわけでもない。

私自身も分からない事情が多い。

ただ、今、おじの存在が本当にありがたいなと。


乳児期に母乳がいいと泣き続けた、そして目が離せない落ち着きのなさ、病気がち、、、、、、そんな幼少期を過ごし今も病気で迷惑をかけている、母の長女pizzaは情けなくて仕方がないので、今、できる限りのことはしたいと思っている。

なかなか、うまくいかないけれど、、、、、、

せめて、運転ができる状態なら、もっと負担は減らしてあげられるのにな、、、、、、

ここ5年ほど、判断力の低下やパニックになることが不安で、車の運転を自粛している。マイカーも手放した。

画像2


母の、このような人生を考えたとき、娘として、どうして今までもっと母に寄り添ってこれなかったんだろうと。幼少期だけでなく、母の抱えてきたこと、考えたら自分が情けなくなる。

父がもっとしっかり家庭と向き合ってくれれば、全く別世界が今広がっているのだろうけれど、父の育ってきた環境を考えるとまた別の問題があるし、私は今、33歳にもなって養ってもらっている状況なので、父には何も言うことができない。



母が、自身の父を小5で失って、「あれからずっと鬱だったんじゃないか」とよく口にする。主治医の見解は分からないが、その可能性はあるのかもしれない。


だからこそ、私は母に心配かけたくないし、母の悲しむことはしたくない。ただ、その気持ちが強すぎて、逆効果だったり、空回りしたり、意識しすぎて苦しくて動けなくなったり、努力の方向を間違ったりしている。

結果、母に心をズタボロにされ ”家を出たい” という自分に出会う。


こんな日々、終わりにしたい。


正しく寄り添うことは、本当に難しい。


今、私は、母の、家族の、大切なひと全ての、力になれていますか?


、、、、、、まず、自分の心配をしろとよく言われますが。


元気になりたい。

そうすれば、だれかの力になれる。


私の存在が、誰かを支えられているといいな。


昨日今日、疲れたので、寝ます。

画像1

明日の課題は、これです。

記念日には、間に合いません、、、、、、



明日が、いいひになりますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。