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#5八方塞がりの日々

八方塞がりだ、そんな風に思うことが増えた。

「八方塞がり」という言葉について。家業が行き詰まった時に苦しいながらも一人で打開策を考え抜いて立て直した父に、今なら素直に感謝を伝えられる。当時実家を出て社会人何年目かに差し掛かっていた私は、全力で両親に反抗をしていた。遅めにやってきた爆発のような反抗だった。その頃に父が言っていた、人生を送る中で八方塞がりになる時が必ず来ると。私はきっとその言葉を借りて、今私が置かれている状況を「八方塞がり」という言葉に頼る形で片付けている。ついつい鬱状態になると言ってしまうのだ。その言葉を借りてしまう自分が嫌いだ。影響されたことが良いとか悪いとかではないと頭で分かっていても、影響されやすい自分をダメだと責めてしまう癖は治らない。治るようなものではない。言葉はすべで誰のものでもなく借り物だと分かっていても、だ。

私は1年半前に1年3ヶ月お付き合いをした人と結婚をした。彼と居ると明確な形にならない不安を事象として落とし込めて、解決に向けて進んでいく実感が持てた。悶々と同じ場所に留まる以外の道がある気がした。凝り固まった私の中にある何かが変わるような。ある意味自ら洗脳される様に全面的な信頼を寄せてしまった。それも原因となり、ここ数ヶ月のうちにお互いにもう一緒にいる事は難しいと追い込まれる頻度が圧倒的に増えた。彼の断定的に物を言う癖と、物事の判断基準が他人にあり自分に自信を持てない私の性質の相性が悪かったのだと思う。そして、"私が自分自身に興味を持つ”ということが決定的に欠けており、結果的に家族である彼を傷付けてきたということ気が付いた。私の判断基準は全て他人に委ねている、ということだ。

「他人の価値観を受け入れること」=「今までの自分はダメダメだから全て捨ててその人の価値観に染まること」と無意識に変換していた。なぜ私は自分の過去を恥じ、自分が無価値だと考えてしまうのか。なぜ自分と違う価値観を提示された時に私の考え方は未熟で間違っていると言われたような気分になってしまうのか。なぜ私は自分を大切にできないのか。私は責められている。私は仕事ができないやつだと思われている。そんなことが頭の中をぐるぐる巡り、もう何もできないと鬱状態になる。0か100かの世界でしか生きられない(と思い込んでいる)。一人で居た時はどうしていた?自分を失ったような感覚にある私がこれから前向きな方向に進む事は可能?八方塞がりだ、とある種の思い込みにより身動きが取れなくなる日々。

でもよくよく思い出すと、一人で居た時は落ち込む状況を作らないように閉じこもっていただけだった。今の私は少し開き始めた結果、新しい「怖い」ことが増えて怯えているのだとすると、前進しているのかも。

彼は「呪いだ」というよく言う。自ら不幸になりに行くように自分に暗示を掛けているように見えると。前勤めていた職場に退職希望の話をした時も、社長に「呪いを早く解いて楽しく生きた方がいいよ」と言われたことを思い出す。自分の思考の傾向を受け入れ、それは不変のものとして諦め、落ち込まないで済む環境を自ら作っていくこと、が当面の目標だ。私らしくあること、私は私でいいこと、誰にも評価できないこと、私が思う通りにやって失敗しても大したことにはならないということ。言葉で暗記しても意味がない気もするが、気を抜くとすぐにこの言葉達が遥か彼方に飛んでいって見えなくなってしまう。すぐに確認できるようにタトゥーで腕に入れようか、とも本気で考えたりもする。

頭の中がカオスで前にも後ろにも進めない、ちょっとした行動の変化で日常が変わって行くことも頭では分かっている。”自分の人生を手繰り寄せる”にどんな行動を選択していくのか。そんなもがき始めの初日です。

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