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SFはいつまでもSFではない

「マトリックス・レボリューションズ」をNetflixで見ました。
これで一気に三部作を見ました。
この映画の2時間9分のうちの50分は戦いのシーンです。
その戦闘たるや凄まじい「え?まだやるの?」という
これでもかこれでもかとターミネーターのしつこさと同じ。

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スミスが
「なぜ立ち上がる?戦う意味はないだろう。」
という質問に
ネオは答えます。
「自分で選んだからだ」

この世は全て「自分で選んで」
今の自分があり、それを今後どうしていくかも
「自分で選んでいく」のですね。
諦めるか、諦めないかも。

パワースーツを操る「ミフネ隊長」は
いかにも日本人的な武士魂。
最初は嫌な奴に見えるが、実は自ら突っ込んでいく戦士。
なかなか迫力がありました。

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2作よりも哲学的部分は少ないのですが
「始まりのあるものは終わりがある」
「何が望みだ」「平和だ」という
やりとりだとか
「変化に危険(リスク)はつきもの」
という名言が散りばめられています。


年末の「マトリックス・レザレクションズ」に期待です。
ちなみに全て原題は「R」が付いています。

SF(空想科学)は
現実の延長線上にいつも描かれます。
SFで描かれたことは現実になってきましたし、
人間が想像することは現実になるのです。

と、思うとやはり、こうならないための
警鐘であると思います。
だから今、AIをぶっ壊す!
シンギュラリティを起こしてはならない。
それが時間の流れの中の正当な行為です。

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