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死と生の境界線

気がつけば、ビルの屋上に佇んでいた。

小さな沢山の車が行き交う道路を真下を見下ろすと、思わず足がすくんだ。

死ぬ勇気なんてないくせに。


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 死と生の境界線



突然切り出された、別れ話。
それはあまりにも軽率過ぎる言葉だった。


「なんつーか、重いんだよね」


ショックとか、そういうのを通り越して、冷静に受け止めている自分がいた。

私は彼の言葉の重さを真剣に受け止める気もせず、まるで他人事のように

「いいよ」

と、一言で返した。

向こうに気持ちがないと分かっているのに、「嫌だ、別れたくない」とまで彼に縋りつくほど、最後まで面倒くさい女になりたくなかった。


なんの未練もなかった。

だけど、どこか空虚になる。
あっけなく私達は他人同士になった。

私は愛されていなかったのか。

一人で答えの出ない問題が、頭の中をループした。


携帯を開いた。
こんな時、頼れる友達なんて誰一人いない。
携帯電話のアドレス帳には、数十名もの名前が並んでいるのに。

……誰にも言えない。

携帯の電源を落とした。

真っ黒になった画面。

もう、どうにでもなれ。


◇ ◇ ◇


気付いたら自宅のベッドに仰向けになっていて、見慣れた天井だった。

どうやって帰ってきたんだっけ……。

意識が曖昧で、はっきりと記憶になかった。


数時間後に、暫く放置していた携帯電話の電源を起動する。

明るくなったディスプレイを見てみても、なんの連絡もない。

所詮、私には誰もいないんだ。


階段を降りてリビングへ行くと、母親が書いたメモが置いてあった。

"遅くなるから、好きに買って食べてね。"

急いで書いたような筆跡と一緒に置かれた5千円札。

いつものことだ。

母親は、仕事に恋に、忙しい。

大体、食事は出来合いのものか、お金が置いてあるだけ。

母親が作った手料理なんて、ここ何年も食べていなかった。


行くあてなんてなかったけれど、なんとなく一人で家にいたくなくて、外へと出た。

ぼーっとしているうちに辿り着いたのは、知らない街だった。

目的もなく、ただ気の赴くまま彷徨った。

私の足は、自然とまた別のビルの屋上へと昇っていた。



いつもより高い景色。

見晴らしの良いギリギリのところまで行くと、私は身を乗り出し、高さのある手すりを越えてみた。

いつでも越えられるけれど、決して越えてはいけないハードル。

下を見下ろすと随分と高くて、恐怖で足がすくんだ。

ここから飛び降りると即死なのだろうか。

ぼんやり頭でそんなことを思う。


まさに、死と生の狭間。

私は、こうして常に死と隣合わせを感じているのかもしれない。

屋上の端から端まで、境界線を恐る恐る渡り歩いた。

一歩バランスを崩すと、真っ逆さまに落ちるのは簡単そうだった。

それでも自ら空へと飛び込む気にはなれない。

結局、そこまでの勇気もないのかもしれない。


今日も、死ねなかった。


私は、時々、こうやって自分の存在を確かめているのかもしれない。

……死ぬ勇気なんてないくせに。



携帯のアドレス帳から、彼の名前を探した。

なんとなく、今さらだけど一応連絡しておこうという気になったから。

『今までありがとう。
一緒に過ごした時間は凄く楽しかったよ。
幸せになってください。』


たった3行のメールを打つと、すぐに返信が返ってきた。


『こちらこそ、ありがとう。
一方的でごめん。
俺も楽しかったよ。』


笑いそうになってしまうほど、簡潔な内容だった。

こんなものなんだよ。私たちの関係性なんて。



その時、新着通知が届いた。

クラスメイトからのメールを開くと、同じクラスの女の子が自殺したという内容だった。

「うそ……」


胸が強く打たれた。

あまりにも突然で、信じがたい出来事だった。

でも、生きているのがつらいのは、きっと私だけじゃない。

そう思うだけで少し気持ちが軽くなった気がした。

亡くなってしまった子には本当に気の毒だけれど、みんな、それぞれ悩みや葛藤を抱えながら精一杯生きている。

死にたい訳じゃない。
この先、どうしようもなくつらいことが沢山あるかもしれないけれど、死ぬという選択肢だけは自ら選んではいけない気がする。

だから時々、私は生きているということを実感するために、ここへやってきて死と生の狭間を体感しているのかもしれない。


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