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多様性と個性と協調性

こんにちは。PILOT SDGsチームのじゅんじゅんです。
最近何かと耳にするようになった多様性と個性。

自分の意見が通らなかったり思い通りにいかなかったときに「多様性がない」「個性が認められていない」という人がいたとします。
そして、そう言う人に対して「協調性がない」「ワガママだ」と言ったとします。

この両者の言い分、みなさんはどう思いますか?

今回は、SDGsにも深く関わってくる「多様性と個性」についてお話したいと思います。

多様性と個性の意味

多様性とは

いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。」という意味があり、社会やビジネスにおいては以下のようなものが挙げられます。

性別、国籍、地域、年齢、学歴、宗教、価値観、働き方
など

個性とは

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。」という意味があり、社会やビジネスにおいては以下のようなものが挙げられます。

容姿(外見)、性格、ファッションやメイク、話し方、考え方
など

多様性を認める、個性があるってどういうこと?

「十人十色」という言葉があるように、誰一人として同じ人は存在しないので、本来であればみんな個性を持っていると言えるし、個性がない人なんていないと思っています。

しかし、改めて考えてみると、他と比べたときに目立つことをしていたり、秀でた何かを持っていたり、違っていたりしている場合に「個性がある人」と言われているような気がします。

そして、多種多様な人や動物、植物などがこの地球上に存在し共存しているのだから、偏った考え方ではなく、柔軟に対応するのが多様性を認めるということではないでしょうか。

とらおさんの記事に、とても興味深い内容がありました。

そう考えると、多様性は「理解や受容」というよりも、価値観の違いにより傷つけあわないため、お互いが「距離を保てること」ではないでしょうか。言ってみれば、みんながうまくやっていくための知恵や工夫です。

これは私にはなかった視点です。
理解できなくてもいいから受け入れてほしい、なんて思っていたので、新たな気付きになりました。

そして、こちらのmamiさんの記事を読んで思い出したことがあります。

私が小学生の時は特別支援学級という教室が別にあったので、授業は別々に受けていました。

しかし、私が中学校には特別支援学級がなく、中学1年生のときに知的障害をもった子が同じクラスになりました。同じクラスで一緒に勉強をするというのは初めての経験でした。(特別扱いはしてほしくないから一緒のクラスで勉強させてほしい、という親御さんのご希望でした。)

数学の授業を受けているとある日、その子が問題を全然解くことができなくて、先生にすごく怒られていました。
私は、「解けないのは仕方がないんだから、そんなに怒らなくても・・・。可愛そうだなぁ。」って思っていました。

先生はみんなと同じように接していただけで、私の勝手な偏見からそう見えてしまったのか?できないことがあっても怒らないという選択は特別扱いになってしまうのか??

そもそも特別扱いってなんだろう?と考えさせられました。

ちょっと昔話

話は約20年も前に遡ります。
バイトなんて1週間しか経験することができず、社会のことなんて何も分からなかった私が、高校卒業後すぐに働いた職場でこんな教育を受けていました。

入社一年目は率先してごみ捨てをして、おしゃれに気を使うのは(髪の毛を染めたりネイルをしたり)後輩に仕事を教えられるようになってから。

これに対して、多少の不満を覚えたものの、
「公務員はお堅いところだから仕方がない」
「まともに仕事ができない(できることがない)から仕方がない」
と思い、その教えを受け入れていました。

そして、2年3年と年月を重ね、同じ指導をしたときに不満をこぼす社員がいれば、「口答えなんかせずに言われたことはやりなさい」なんて言って、挙句の果てには「これだから若い子は」「ゆとり世代は」なんて言う始末。

髪の毛を染めようものなら、「仕事もできないくせに」「髪の毛染める暇あるなら仕事を覚えろ」といい出したり。

また、社員食堂では女性が固まって一緒に食べるのが習慣だったので、新入社員が入ってきたときも右へ倣えでそう教えていましたが、いつしかそれをしない社員が出てきました。

そうなると小さなコミュニティでしか生きていない人たちは(私を含め)、「協調性がない」と言い出します。

こんなことをしているから「昭和世代は」なんて言われてしまうのですが、当時の私はその教えが絶対で、破ってはいけないルールだと思っていました。

考え方の変化

そんな人生を歩んできた私なので、なかなか時代の変化や、考え方の違いについていくことができなかったです。
しかし、転職や引っ越しで色々な人に出会っていくうちに、「もしかして私の考え方が間違っているのかも?」「こんな考えを必死で貫こうとして何の意味があるのか?」を考えるようになり、ここ数年でようやく「古い考え方(悪い習慣)」を捨てないと生きづらくなるな、と思えるようになりました。

そして、その考えを捨てたときに、なんだか楽になったような気がしました。

終わりに

多様性や個性を認めることを求められている今、協調性がこれまで以上に求められているような気がします。

一般的に、誰とでも仲良くできて、イエスマンのような人を協調性がある人と言われる場合が多いと思います。そして、他と違う意見を言ったり行動したりすると協調性がない人と言われてしまします。

しかし、本来の意味は全く違います。

■協調性とは
違う意見や考え方を持つ人たちと協力し、譲歩しながら同じ目標の達成に向けて行動できる能力のこと。

過去を振り返ると、自分には協調性があると思っていたけど、実は協調性がなく、多様性や個性を認めていなかっただけなんだなぁと気付かされました。


この記事をお読みになった皆様が思う”多様性””個性”について、ぜひご意見をお聞かせください◎
自身が経験したエピソードなんかも紹介していただけると嬉しいです。


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