【生まれ変わってでも】会いたい人はいますか?
脳裏に焼き付いた記憶、
100年経って、生命が尽きようとしている最中でも、
「会いたい」と思える相手はいるのでしょうか。
また会える確証もないのに、
生命が先に終わるかもしれないのに、
それでも、「貴方」を思って再会を待つことはできますか?
今好きなことが、一生好きである保証も無いし、
今聴いている音楽が、一生残る保証も無い。
今居るこの場所が、ずっとここにあり続けることも困難で、
今、目の前に溢れる景色が続く奇跡も無い。
人間なんてナマモノで、もっともっと、
「永遠」などはないと思うのです。
「また明日」が何十年も続いたことはないし、
「またね」と言った昨日が、遠い昔になることもたくさんありました。
そんなに人生経験がある訳でもないし、
長年生きてきた、と言うには程足りない人生で、
こんな事を考えるのはどうかと思ったけれど。
そんな奇跡を信じたくなりました。
大人になって忘れたくないことが増えたけれど、
確実に記憶から薄れてしまっています。
優しかった祖父母との思い出や、
楽しかった学生生活の思い出、
今もう亡くなったあの人のこと。
声や匂い、顔さえも忘れてしまいました。
先月にあった楽しい出来事だって、思い出すには時間がかかってしまいます。
時々、「私って性格悪いのかな」なんて思っちゃうくらいに
残酷だな、と感じます。
悲しいことは時間が解決してくれる とか、
やまない雨はない とか、よく言いますが
悲しいことが小さくなっていくように、
嬉しいことや楽しいこともそうなんだなと感じます。
寂しいけど。
結局、今ある景色や記憶が鮮明で
でも、その「今」も1秒ごとに記憶に変わってしまいます。
「いつか」なんて考えられないほどに、
今を忙しなく生きています。
それでも大切があるのは、記憶を積み重ねて来たからで、
記憶という点が線になった時、それは大切になると思います。
永遠なんてわからないけれど、
そんな奇跡が起きる保証もないけれど、
大切な今を紡いでいけたらきっと、
そんな相手に巡り会えるのではないか、
そんな奇跡があってもいいのではないか、
そう思いました。
いつかの大切を作りだす「今」を、
日常を繰り返していく何気ない時間を、そんな営みを、
奇跡にも変わりうる出来事にしたい、
そんな大それた願いがあってもいいんじゃない?
そう感じました。
今回は、2023/4/26にMVが公開された
ヨルシカ 音楽画集「幻燈」 収録曲の『第一夜』
上記を拝聴して感じたことを記事にしました。
奇跡をも信じたくなる
大切な作品でした。
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