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ep.10 ローカルバスに乗ってカマリへ | サントリーニ島の冒険

ホリデーなのになぜ午前6:45にアラームが鳴るのかと、寝ぼけたその人がまさしく昨晩アラームをセットした当の本人である。半起きのままおぼつかない足取りで横に並んだベッドの上を渡り歩き、カーテンを開ける。朝焼けに染まりはじめた空のオレンジが茶色の瞳に映りこむ。本格的な日の出は午前7:30。綿密に15分おきにセットされたアラームの度に体を半分起こし、開いたままのカーテンから目線だけ外を確認する。寝ぼけたその人は、太陽が昇るのを待っているが、次々にセットされたアラーム保険の前にあぐらをかき、また布団の中へ潜り込む。

いつまでも起きないぐうたら人に、呆れたアラームは力無く静かにシーツの狭間に身を沈め、時刻は結局午前7:37。力強い光と共に太陽が昇りはじめ、寝ぼけ人がついに目を覚ます。朝の黄色がかったオレンジの光は、晩の温かみあるサンセットの色とはまた違って美しい。しばらく日の出を見つめたが、またぱたっと横になった寝ぼけ人の目が次に開いたのは、とっくに太陽が昇りきった午前9:00であった。

やけに時間に詳しいこの文章。これから難解事件に巻き込まれるミステリー小説でもなんでもなく、この寝ぼけ人の旅日誌である。

バルコニーには、昨日手洗いしてくくり付けられた洗濯物が無事に吊り下がっている。もう少しで乾きそうだが、この宿に連泊しない場合は生乾きの洗濯物をリュックにぶら下げての移動となる。この人の一日はこれから決まる。

本日の朝の旅人の仕事もまずは情報収集である。当初3泊4日で予定していたミロス島への旅路は、強風によるフェリーキャンセルのため2日間キャンセルされ続けていた。初めに向かうはもう地図を見ずにたどり着けるフェリーの代理店。いつもと違って人が並んでおり、カウンターにいつも座っている眠そうなあの子はいなかった。今日は何かが違うのか。客対応で時間がかかりそうだと判断したのか、旅人は代理店を出て先に向かいの郵便局へ行く。いつも閉まっていたのにこちらも今日は営業している。やはり今日は何かが違うのか。

小さな郵便局の中へ入ると、記念切手の展示があり、旅人が大好きな日本の郵便局を思い出させる雰囲気があった。旅先で郵便局を訪れては、どんな切手を貼ってもらえるのかいつも楽しみなのだ。部屋の奥には青の美しい小さな引き出しが百くらい並んでいるだろうか、壁を彩っている。カウンターの女性は優しく対応してくれ、日本へ送るはがき用の切手は€1であった。フェリーの代理店に戻ると、声に聞き覚えがある、初日に旅人がおそらく電話で話したと思われるスタッフの女性がカウンターで対応してくれた。女性が慎重に今日のフェリーの運行状況を確認し、旅人は息を潜めながら待った結果、残念ながらフェリーはないという。これはもうどうもならない。三日目にしてこの結果への心の準備も少しはあったようだ。明日は元々はミロスから帰る予定で、復路便の船の予約がされている。こちらは返金してもらえるのかと旅人にとっては大事な質問をしてみると、女性は返金してもらえるかはわからないが状況を説明して問い合わせするよう旅人にアドバイスする。

続いてはこの旅人の散歩コースとなったバスステーションへ。掲示板をみると港へのバスの欄には全く貼り紙がなかった。もう港へ行く予定もなく、窓口のデニムジャケットのお姉さんに話しかける理由もついになくなってしまった。旅人はミロス島には行けない。

港行きのバス時刻表は空っぽ


今日もバスステーションは上質なカオスを保っており、それはなぜか旅人の心を励ますのだった。地中海(厳密にはエーゲ海)の上に全く出れないのは寂しいので、観光クルーズの代理店に立ち寄った旅人は、色々とアイディアをもらい、カフェで買ったコーヒーを片手に宿へ戻る。派手なコーヒーカップには”Need Coffee”と金髪女性のイラスト。コーヒー派の旅人はそのユーモアにまた少し元気をもらったようだ。

今晩泊まるところを見つけなければ。夜に彷徨うのは避けたい。
旅人がそう思いながら、宿の部屋のバルコニーに出ると、数日前の日帰りツアーでお世話になったドライバーのニコ率いる一行が坂を上がってくる。これからツアーにくり出すのであろう。馴染みの顔を見ることができて、旅人はまた少し嬉しくなった。隣のバルコニーには、この宿のお掃除をしている女性がひょっこり現れた。彼女は朝から働き者である。「この後タクシーは必要か?」と尋ねてきた女性に、フェリーが動かないので港に行く理由がなくなったことを旅人が伝えると、「今日もここに泊まりたいか?」と続けて女性が尋ねる。旅人が例によって値段を聞くと、「ちょっと待ってね」と電話をするのか女性は姿を消す。電話の先は、あのピンクパーカーのお姉さんか、ボス(通称Mama)か。

今日のフェリーもダメだった場合、旅人はビーチに行こうと決めていた。Kamari(カマリ)というビーチのある街のホテルを調べ始めると、朝食付きの安いホテルが見つかる。もうここでいいかという気持ちになった旅人は、先ほどの女性も戻ってこないので予約を済ませる。

一晩泊まったこの部屋には、旅人がギリシャに思い描いていたものがあった。旅人はここへくる前にたくさんの想像をしていた。ベッドに腰をかけ、青く統一された簡素ながら心地のよい部屋をじっと眺めている。荷物をまとめた旅人が部屋のドアを開けると、気持ちの良い風が通り抜け、廊下の窓にかかった白いレースのカーテンも気持ち良さそうに揺れる。その光景は旅人をもう一泊したい気持ちにさせたが、フィラはだいぶ見たし海の近くに行きたい思いは揺るがないのであった。

先ほどの女性が値段を伝えに戻ってくると、Yes or No?とはっきり尋ねられる。ちょっとびっくりしながらも、申し訳なさそうにNoを伝えると、「Have a nice day!」と彼女は去っていった。そんなものである。お世話になった分チップを置いて名残惜しく部屋を出る。鍵を返すときに彼女の名前を尋ねた旅人は、ドイナという名前を心の中で繰り返し覚える。お礼を伝えて宿を出たその足はスーツケースを転がしながら、馴染みの坂を上りバスステーションへと向かう。坂の途中のいつものレストランの客引き男性は今日は店先に出ていなかった。今日はいつもと違うのだ。それでもフェリーは動かない。それはそれということだ。

ついに旅人がこのバスステーションの利用客になる日がきた。先ほどよりもカオスに磨きがかかっている。カマリ行きのバスはすぐに見つかり、一安心した旅人は手前のドアから乗り込んでいく。バスドライバーは旅人に興味を示さず、支払いは後のようだった。バスが走り出してすぐ、短髪の真面目そうなスタッフの男性が乗客達に近づく。男性が美しく整ったコインの並ぶお釣り用のコインケースとチケットを片手にバスの狭い通路を歩くと、乗客たちが財布から乗車料を準備する音がする。男性が見とれてしまうほどの手際の良さでお金を集めチケットを渡していく。値段は€1.6である。旅人は手渡されたチケットを珍しそうに眺め、大事にお財布へとしまう。20分ほどでカマリに到着。終点のバスストップにはフィラに戻る人たちなのか、既に列ができており朝から盛り上がっている。

先ほど旅人が朝食に釣られて予約した宿は、メインストリート沿いにあるはずなので、地図を見ずに気楽に進んでいくその後ろ姿は、右に左に首をキョロキョロし、サントリーニに来て初めて大きめ(とは言ってもコンビニよりちょっと大きいくらい)のスーパーと、ベーカリーも発見している。カマリは良さそうなお店が揃っている。宿を見つけた旅人が薄暗いレセプションに入ったその瞬間、スタッフなのかよくわからない男性が入ってきて紙の束をめくり始める。旅人の名前が見当たらない、という男性に、「先ほど予約したからだと思う」と説明を返す。すると、まだ掃除したばかりで床が濡れているが5分後には部屋に入れる、と別のスタッフが入ってくる。まだ本来のチェックイン前の時間帯なのでありがたく、旅人はすかさずお願いする。

リーズナブルな部屋とあってか、前泊の宿よりさらに古い感じがする。掃除したてのブリーチの臭いがして、床はまだ少し濡れている。バルコニーの窓を開けると、メインストリートに面しているようだ。まだ乾き切っていなかった洗濯物を再び干すと、小さなトートバックを肩にかけて歩き出した旅人は、小さなスーパーを見つけては入り、品物を見てはロンドンよりも安い、高いなどと、どこで使うのかわからない考察を始めている。そして同じことを首都フィラでもしていたこの人は、フィラよりここカマリの方が物価安であると気づく。これはボス(通称Mama)に報告すべきであろうか。レストランも一杯のコーヒーの価格も20分離れたこの街の方が安いのだ。

小さなスーパー
ベーカリーのレトロな看板

サントリーニでは初めて見かけたベーカリーにワクワクしながら入った旅人は、元気で爽やかなお店のお姉さんに声をかけてもらった。大きなサンドウィッチが€3と即決しお店のこと尋ねると、なんと朝の6時から夜の10時まで営業しているという。全く飾り気がなく少し薄暗い店内だが、たくさんの菓子パンも並んでいる。店の外にはとてもレトロな看板があり、次から次へと地元の人と思われる客が入ってくる。その隣には薬局があり、向かいにはディスカウントと書かれた大きなスーパーがある。旅人はもちろんスーパーへと流れていき、板チョコと水1本を買う。どこへ行ってもあまり野菜を売っていないようだが、人々はどこで買っているのだろうか。そんな疑問が湧いてはすぐ消えていく中、ようやくビーチへと向かっていく。

ビーチを横にそぞろ歩き。ほとんど人がいないにも関わらず無数に並べられたビーチチェアに座り、2-3時間。激しい波に恐々と海に入る強者たちを眺めながら、旅日誌を書いている。美しい銀色が北斎のような波を見せる瞬間、水が透きとおっているため、海の中で揺れる海藻がはっきり見える。自然の織り成すその瞬間はなんとも不思議で美しく、旅人はとらわれたように同じシーンを何度も眺めている。海岸には乾いた海藻が小石を覆い、歩くとふわふわして気持ちが良い。銀の波がつくる美しい幾重ものラインに目を奪われ、旅人は簡単なスケッチをし、いつまでもそこで見ていた。

太陽がぐるりと山を一周し西へ沈み始める頃。東のカマリはさすがに肌寒くなり、旅人はビーチチェアから起き上がると、賑やかな方へと足を進め、立ち止まった地元のレストランの中へ入っていく。迎えてくれたウェイターは寒いので中の席を勧めたが、旅人は外の席を希望した。ウェイターは「ではヒーターをつけましょう」と言って、その近くの暖かい席へと案内する。

とてもプロフェッショナルで紳士的な着こなしのその男性がオーダーを取り、ギリシャのMoussakaという料理を頼む。挽肉にナスと薄くスライスされたじゃがいもが入っていて、その上にチーズをのせオーブンで焼いた料理で、見た目はラザニアのような感じだ。一度旅人がお手洗いに席を外すと、戻った時にはなぜかヒーターが消えていた。気づいたウェイターの男性がもう一度つける。彼がいなくなると、ヒーターを挟んで隣のテーブルにいた女性客の一人が「暑いからヒーター消すよ!」と言ってまた止めてしまう。旅人が自分はヒーターがほしい旨を伝えると、女性は「5分だけ消しておこう」という。その女性はウェイターの男性と知り合いなのか少し酔っているのか、何度も絡むように男性に話しかけていたが、その後誰かと大きな声で電話を始めた隙に、ウェイターの男性がそっとヒーターを付け直す。

食事を済ませた旅人がお金を払おうとお会計をお願いすると、ウェイターの男性が「デザートは何がいい?」と尋ねた。頼んだ食事には含まれていなかったと思った旅人が、含まれていましたかと聞き返すと、彼は「On the house(お店のサービスです)」とウィンクする。なんとなく居辛かった旅人を気遣ってくれたのか、わからないものの、旅人はパンナコッタをお願いする。そしてこれはとても美味だったようで、嬉しそうに満たされた旅の人はお礼を言って、レストランを後にする。

明るいレストランの光に照らされる道。地元のにゃんこ達もまだ外出している。ギリシャの夜は長いのだ。黒猫が旅人の近くへと寄ってきて、一人と一匹はそぞろに海の方へ向かう。真っ暗で波の音だけが聞こえてくる。星が見える。

着いて早々フェリーキャンセルの洗礼を受けたが、フェリーの代理店、バスターミナル、ホテルの人たちと、お陰で地元の人たちとたくさん喋る機会ができ、彼らのコミュニケーションの仕方もわかってきたようだ。また一皮剥けたこの人は、来たる東の日の出に備え、今宵の宿で横になる。

Good Night


ここまで読んでいただき、ギリシャ語のありがとう!Ευχαριστώ(エッフハリストーという発音に私には聞こえます)。

明日は雪が降るかもしれないロンドンです。

本編は少し気分転換に、朝ドラのようなナレーター調で書いてみました。

「サントリーニ島の冒険」は、100ページを超える手書きの旅誌をもとに、こちらnoteで週更新をめざしています。

ただ海を眺めて歩く一日。人は日々それほど動かなくても、変わろうとしなくてもよいのではないか、一つ前の記事はこちらです。

これまでの記事はこちらに綴っています。お時間があればぜひ訪れていただけますと嬉しいです。