見出し画像

【感情紀行記】人成

 何か仕事を成し遂げてからではないと日本では休めない、休んではいけないという風潮がある。しかし、フランスなどではバカンスを取る。それを比較して、「人間が何か成し遂げるなんて無理なんだから先に死んでしまう」と言われた、という動画を見た。人間は何かを成し遂げなければならないのだろうか。何かを成し遂げるものなのだろうか。

 人間の成し遂げることは文明社会の後付けだという結論に至っている自分は、何か社会の中で成し遂げたいとは思わなかった。しかし、自分の中で譲れない点を決定的に得るということをしなければ、この人生の意味や後付けの意味すら持てないのではないかと思った。果たして自分の成し得たいものはなんなのだろうか。これだけは譲れないというものはなんなのだろうか。地位、名声、金、家族などなど、思いつくことはありとあらゆるものを考えた。確かにどれも欲しい気がするが、どれもなくても問題はないのかもしれない。自分が自分である、自分の欲するものではなさそうである。

 自分の考えた、現時点での欲するものは、「自分の快適な生活」である。回答になっていないようで、なっている、何も入っていないようで、全てを内包する都合の良い回答になってしまった。しかし、今日一日を振り返ってみれば、快適な生活が譲れないものであることは間違いない。

 日曜日である今日、前日にかなりの夜更かしをしてしまったものの、少し遅めとはいえ、朝日で目覚めた。前日にかけていたアラームを先越して起きたのだ。朝ごはんの支度をし、自分で作った朝ごはんを八分目まで食べる。朝の散歩に出かけ、神社に参拝する。簡単にお昼ご飯を作り、食べ、買い物に出かけた。お香を買い、家に帰り、火をつける。立ち上るお香の煙と共に、心を落ち着かせ、ゆっくりとお昼寝をした。夜は家族とご飯を食べる。

 なんともない当たり前の休日だが、簡単には享受できない贅沢な当たり前である。この当たり前に感謝しつつも、この快適な生活を将来もしておきたい、と思った。そして、時代とともに移り変わる自分の快適さに追従する快適な生活を送れたと思えたら自分は満足できるのだろう。このような日のために自分は生きていきたい。そして、このような生活を送ることを成し遂げたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?