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【感情紀行記】春満月

 ここ数年間、自分は孤独である、という現状をコンプレックス、ひいては悩みの種として抱え続けてきた。実際は、家族や親戚、友人たちに恵まれていたので、完全に孤立、孤独であったわけではなかった。しかし、何か社会に対して自分は一人で向き合っているような、少なくともペアではないような感覚に襲われていた。しかし、生活と、それを支える精神がものすごく強力なスタビライザーによって支えられるようになった。自分の確実性や、自分を構成する何かが足らないという状況から、変わったのだ。これまでにないスタビライザーがついた。そのおかげもあって、このところ、人生が楽しい。もちろん忙しさもあるし、少し悲しいことだって起きる。しかし、今までにはなかった安定と安心感があるのだ。

 そうというのも、今まで欲しかったような理想の生活を手に入れているからである。自分が自分に丁寧で、生活を日々ルーティン化していく中で、小さな楽しみを見つける。そして、その生活の中に人がいる。そのような昔から思い描いていたような生活が今、自分の手の中にある。日々過ぎ去っていく忙しい日常に追われることや、しがみつくことがいっぱいだった生活から少し変わり、楽しみとしての生活があるようになった。多くの人にこの生活を支えてもらっていることは確かなのだけれども、とりわけ距離が近い大切な人が増えたことが大きいだろう。生活が文字通り、有意義になったのである。自分だけで満足しない、誰かに何かを共有できる。そういうことが、この生活の基盤となっているのは間違いないのではないかと感じる。そんな状況が久しく続いていたものの、ほぼ初めて、そのような状況から脱することに成功して数ヶ月が経った。最初は戸惑いも若干あったものの、この生活に慣れてきた。生活の段階が変わったというより、生活の色が変わったというのが正しい。このような状況をよく、「春がくる。」というように形容する人がいるが、本当に春色一色に染まっていくような感覚である。今まで聴いていた曲の歌詞が染み渡るようになり、歌詞の意味も考えるようになった。悩んでいた時や、落ち込んでいた時に聞いていた曲が、応援歌のように聞こえ、寂しく下を向いて歩いていた道が、嬉々として、前を向いて未来へと続く道になった。生活は安定し、精神の起伏も以前ほど多くなくなった。楽しいこととか幸せだと感じることが増えた。自然と笑顔が溢れる生活がこんなに長く続くのは、物心というものが本当にあるのであれば、ついて以来数回目なのではないだろうか。

 今まで渇望していたような生活が遂に手に入り、その手に馴染んできたわけだが、心中が全くもって穏やかというわけではない。しかし、そのような、時たま出てくる不安な要素も吹き飛ばすような幸せが、今はある。今まで、精神的に不安定なことや、日常が忙しすぎたことで、周囲のことが見えなくなったり、感じ取れなくなってしまったりしたことはあった。しかし、精神が安定して自分の棘のようなものが取れたことによって、日常への文句とか、社会への不満とかいうものが見えづらくなり、周りが見えづらくなったことは初めてである。いかばかりかの棘が丸くなったとはいえ、まだまだ尖りすぎた棘は日常に引っかかりをもたらす。これからも、新たな視点を持ち合わせ、一段階上がることとなった場所から、様々なことを眺めていきたい。そうとはいえ、どうも書きたいことというか、文字にしたいという刺激的な日常がなくなってしまったのだ。タイトルの通り、「感情」紀行記なので、感情の浮き沈みが原動力となっているこの文章は、なかなか筆が進まない。決してこれは、幸せ日記ではないのだ。時間と共に、少しテイストが変わってきた自分とその生活に合わせて、ほのぼのとした平坦な紀行記がまだまだ続きそうである。

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