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【感情紀行記】推進力

 あまり政治に興味のない人でも、テレビなどの媒体に釘付けになって政治家の会見を見たであろうコロナ禍初期、多くの人が不安と非日常への恐怖を感じていたことだろう。例外なく自分もそうであった。

 少し周りと違うのは、海外でその経験をしたことだ。ニュージーランドに留学して三ヶ月弱、にわかには信じ難い情報がちらつく。新型コロナウイルスの出現だ。新しいウィルスと言われても、今まで経験したことがあるのは新型インフルエンザ程度である。デマなのか、取るに足らない情報なのかよくわからずに流していた。大ごとになりはじめたのは、ダイアモンドプリンセス号の頃であろう。あの時から、アジアの方で大変なことが始まったという空気が流れ始めた。初めの頃は、アジア人しか罹患しないと思われ、「Covid-19」などと叫ばれたこともあった。のちに大ごとになったのだが、異国での同年代くらいからのわかりやすい差別にまだ笑える余裕があった。

 そうはいっても、普通の生活を続けていた。そんなある日、海外の学校特有のベルが鳴り響き、首相の演説が流れた。英語がやっとわかり始めてきた頃だが、公共交通機関が24時には止まるとか、ただならぬ雰囲気ということだけがわかった。先生が以前から会議していたのか、対応はスムーズで、早期に帰国することになった友人たちとの別れを告げ、早めに帰宅した。ホームステイ先が変わることもあったため、「新しい生活様式」は新たな家族と迎えることとなった。日々やることがなく、近くのスーパーに通い詰めることくらいしかできなかった。独特の音声と共に流れる、現在のレベルと対策を示すコマーシャルは、耳に焼き付いた。

 異国疲れをしていたような時期の想定外の休みは、今振り返れば、良いものであったと感じる。感染対策が功を奏し、日々の感染者数が減り、0人が続いた時には、ホストファミリーと落胆さえした。学校が解禁され、学校へ行くと、お菓子と共に、学校にお帰り!というメッセージで持って歓迎された。とても良い思い出である。

 ニュージーランドは、今となってはコロナウィルスに対して過剰に反応することはせず、共存という道を歩んでいるが、当時はゼロコロナ政策のお手本であり、日本失策の象徴としても扱われていた。世界最高峰の対策と成果の上がっている国の一員として、強い誇りと、国民と共に戦ったという意識が少なからず芽生えた。今でも、その当時をまとめた映像などを振り返ると、慣れない異国での努力と、一丸となって戦ったメンバーとしての誇りが喚起される。確実に今の進路や自分の興味関心を強めた起点である。

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