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ウィズコロナの世界で、君を待つ酒。

ウィズコロナの社会の中で、人と人との関わり方も変わりつつあります。
気軽に友人とお酒を飲みに行くというのも、簡単にはできなくなってしまい、どこか特別なコトのように感じてしまいます。

古来より、大切な人との付き合いでは、傍らに日本酒がありました。
万葉集に「待酒(まちざけ)」という言葉が出てきます。
『君がため 醸みし(かみし)待酒 安の野に 独りや飲まむ 友無しにして』

この歌は、太宰師大伴卿(大宰府長官の大伴旅人)が、大弐丹比県守卿(大宰府次官の「たぢひのあがたもりのまへつきみ」)に対して、転任の際に贈った歌です。

「君と一緒に飲もうと思って醸造しておいたお酒だけれど、君は安の野に旅立ってしまい、この酒を独りで飲むことになるのだなあ」といった意味になるでしょうか。

待酒。日本人らしく、美しい響きだなと思います。
大切な人に最大限のもてなしをするために、日本酒を自ら準備し、来客をお迎えしていたと想像すると、日本酒の中に日本人の精神が映し出されているようにも感じられます。

現代とは異なり、万葉の時代、人と人とが対面で会うことが容易ではなかったことは想像に難くないですし、いつ誰と会うにしても、これが今生の別れになるかも知れないという心持ちだったことと思います。

大切な人を想いながら日本酒を醸し、その人たちと酌み交わすというのは、一体どのような心境で、またどのような味わいだったのかなと想いを巡らせてしまいます。

現代社会においても、大切な人と会う時に、一緒にどういうお酒を飲もうかな、どういうお酒をプレゼントしようかなと考えることがありますよね。これから大切な人と会って語らえるのだという期待が高まる時間です。
万葉の時代の精神が、今も脈々と受け継がれていることを感じます。

ウィズコロナの社会の中で、オフラインの価値はますます高まっていくことでしょう。
オンラインが世界中を繋ぐ今の社会において、大伴旅人の頃ほどではないかも知れませんが、対面で大切な人と会うことが、一層特別な意味を持つことになると思います。

世の中の価値観が大きく変わる中にあっても、日本酒は大切な人と大切な時間を繋ぐ「待酒」であり続けるのだと思います。

ところで、大伴旅人ですが、よほどお酒が好きなのか、万葉集の中で「酒を讃むる(ほむる)歌十三首」と呼ばれる作品を残しています。

その中の代表的な一首です。
『験(しるし)なき ものを思はずは 一坏の(ひとつきの) 濁れる酒を 飲むべくあるらし』

なんの甲斐もないような物思いにふけるくらいなら、一杯の酒を飲んでいる方がいいよね、という感じでしょうか。

先の見えにくいウィズコロナの世の中ですが、一杯の日本酒で気持ちが晴れることもあるかも知れませんよね。

万葉の時代から1,000年以上の時が経っていますが、これからも、温故創新の気持ちをもって、次の1,000年続く日本酒の価値を追い求めていこうと思います。


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