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エコやサスティナブル - 最近何をしたか 2/3-2/11

昔エコを信じていた頃があった。もう二十年以上前で他の人はあまりエコなんて知らなかったか知ってても誰も気にしてない頃だ。コンビニに行って割り箸いりません、袋いりませんとか真面目に言っていた。その頃は割り箸も選択ではなく店員さんが必ず付けてくれるものだったので多少奇異の目で見られたりした。当時の彼女にも恥ずかしいとか言われたりして。逆に数少ないが評価してくれる店員さんもいた。ゴミもちゃんと分別してペットボトルも食品トレイも洗ってスーパー等のリサイクルボックスに持って行った。でもある日知った、気づいた。ペットボトルのリサイクルの無意味さ、現実的なリユースの底の浅い限界を。ペットボトルのリサイクルで作られたTシャツは売ってるのも珍しく、買ってはみたが繊維の機能的に夏には着られない。だから調べ選択して続けるもの止めるものを明確にした。それは今でも考えてアップデートしている。温暖化などについてもそう、人間のやることには限界がある。やらないよりやったほうがいい。しかし太陽がくしゃみをすれば人間なんて大混乱だろう。黒点の活動一つでどうなっただろうか。太陽フレアで電子機器はどうなったのか。その程度の活動でも人間に大変な影響が及ぶ。だから気候変動はいつかは起きるだろう、起きているかもしれないしね。それは単にCO2の問題なのか。そうではない、少なくともそれだけではないだろう。今もある程度の分別はしている。ある程度というのはペットボトルは燃えないゴミとしても捨てる。割り箸など意味もなくもったいないことはしない。それは環境云々よりも無駄なことをしたくないだけだ。環境問題と言われてもSDGsなどと言われても何も思わない。好きに頑張ればいいと思う。しかし無駄な啓蒙はやめてほしいのだ。理解を示さない人間、興味のない人間や賛同しない人間をまるでバカな人、かわいそうな人、優しさや愛が足りない人のように啓蒙してくるのは。ESG投資か何か知らないがまだ水を健康食品と偽って販売してる方が現物はある。何もないものに投資をする偉い人から見ればまた違う理由なのだろう。メガソーラーで失われたものも知っている。しかし企業はエコだよとアピールするのに必死のようだ。当たり前のことを誠実にすればいいだけなのに。ここまで来るともう息苦しいよ。そして海外に比べて日本は足りないというのだろう。その海外は欧州である。持っている人たちの崇高な理屈でまだ持っていない人を縛ろうとしている。金持ちのお遊びのようなものだ。そんなものに付き合う気はないよ。まだ持ちえぬ人の事を考えてどうすればいいのかを考えていたい。地球の環境をほんの少し、海岸の砂粒を一つ拾うように、そういう改善をするために持たない人の多くのものを奪ってゆく。それは命も含めてだ。私は偽善は嫌だが、彼らには偽善ではなく純粋なる善行なのだろう。間違いを分からない人間を導くいい私達なのだろう。彼らの意見を分からない人は何も考えず愚行を犯しているとでも思っているのだろう。


暗闇のオルゴール

電気が流れるまでは闇の中だった。石の塊を加工し電気を流す。音が出る。世界に広まり音が音楽へと変わる。様々な才能。石は電卓で、電卓は形を変えて音を出す。その機械を制御しようとする者、成功し音は出る。ちょっとした音を流してみる。感激。広まり集まってくる。技術の進歩は止まらない。奴があれならオレはこれを作る。これが必要だから作ってほしい。そうしてできた新しい石が組み込まれる。今度は音楽を鳴らしたい。でも制御しないとね。いい音楽を作るために機器を制御する。電圧やら波形やらメモリ回路を。そうして音楽は石から飛び出し暗い部屋は聞き取れないくらい音楽だらけになった。そしてその世界や音楽は知らせてくれた。たくさんのことを教えてくれた。闇、楽しみ、悲しみ、生命、間違い、狂喜、スピード、重出、光。闇を照らす音は地面を隆起させ地中から光を運ぶ。光を連れてきた。


その取っ手にはバターが塗られていて

ぼんやりとした空間にはぼんやりとした立て札が立っている。何かいつもと違う光景。いつもの慣れ親しんだ場所のはずなのにぼんやりしていて何か違う。夢でよく見る光景がこんな感じだ。いつもの街のいつもの場所。同じように思い行動しているのだが何かが違う。細部が明確に違うのだがその時は分からない。そんな感じの光景が現実と激しく入れ替わる。二重に映るのではなく溶け合っているのだ。そして立て札の方向に赴くと、扉があるんだ。そしてその扉には…


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