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こんなコミュニケーション - 最近何をしたか 7/18-7/28

こんなコミュニケーション
SNSをやっている。このnoteからのリンクもあるけどTwitterとか。このnoteを始めた少し後に始めた。単にツイートしたりリツイートしたり、いいねをしたりね。そこでいつも思うことがある。返信だ。時に興味深い話などに返信をしたりする。そうそうと思ったり、違うなと思ったりしたときにね。本当にたまにだけど。しかし他人に向かって返信をするというのは私にはとても大きな作業で、本当にこの意見を書いてもいいのか、同意するにしても前提となるツイートをちゃんと読めて理解できているのか、そういうのが怖くて時間が掛かったりする。気楽にやれよ、とも思うんだけど、これはどうにもならない。また、できるだけ丁寧に返信をしているつもりだけど、その人の主張、思考と違う意見だった場合、それに対するレスポンスを言葉汚く罵ってくる人とかいるのでとてもつらい。その程度のことがつらい自分のような人間はそういうことをやるなよ、とも思うのだけど、ついコミュニケートをしてしまう。丁寧にしているつもりだから相手も丁寧に返してくれるという幻想を見ているのだろうか。いや丁寧に返してくれなくてもいい。無視でもまったく構わない。もちろん自己満足だというのは分かっているから。だけど口汚く罵られたり、意味のない攻撃をされるのは嫌なんだ。それはおかしいことだろうか。つい最近、世の界隈でのセンシティブな事柄について同意見の人に同意的な返信ツイートをした。そのツイートに対して反論してきた人がいた。少し身構えたが、それに対する反論のやり取りを何度かして、理性的に意見の交換ができたような気がする。意見そのものは混じり合うことはなかったが、いくらかの部分においては近づけたのではないかなと思い安心した。そして満足した。こんなことは今までにあまりない。第一あまり返信をしないからね。でもこういうことがあって少し嬉しい気持ちにもなった。こんなことでね。そう、こんな。


自分の瞬間

赤い大地に立ち流されるまま君臨し続けた彼女は何を思うのだろうか。自分や世界に裏切られたときにはどうしてもよろめいてしまう。毅然とした姿の女王であるために何を失ったのだろう。そして何を得た。どんなことがあってもどんな人になろうとも人は自分だけの瞬間がある。それを大切にできるかどうか、それを見据えたい。そしてその儚さを愛したい。


めくるめくマイルストーン

当時ゲームセンターにスペースインベーダーが出て大ヒットし、コピー製品が巷に溢れ埋め尽くされたとしても、そこから新たな体験が湧き上がってくる。今までにない体験がね。それは発展したもの、新たにつながったもの、全く違う視点からのもの、めくるめくマイルストーンだ。それらを目の当たりにでき、体験できた。その幸せは別に幸せじゃないかもしれないけどやっぱり幸せなんだ。そこにいた瞬間、色あせた時、色とりどりの体験。ああこれを感じ続けているのはどうしてだろうか。


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