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自分の気持ちを伝えられないあなたへ

 このまえ、私のFacebook記事を見てくれた友達が「ほんとうに良い文章だった!」と激褒めしてくれたので、文章で自分の考えていることを伝えるというのもアリかなと思って書いてみる。

 昔から私は誰かに自分のことを伝えるのは苦手で、客観的な状況説明のほうが好きという感覚がある。(結果的にというだけだが)自分が常識的な感覚からズレているというのもわかっているし、ありのまま喋るとかなりイタめの #オタク #男 #根暗 #幼稚 #挙動不審 (さらに場合によっては #オジサン までついてきそうな感じ)なので、加害性の塊やなと思って生きている。

 自分を見せるということは、加害性の牙を剥くことだと思っていた。

 結構皆さんは自己開示をしながら、お互いの情報を交換しあってコミュニケーションしているというのに最近気づいた。私は「自分の情報」じゃなくて、「価値のある情報」を提供しないといけないって考えていたので、つまり「経歴」「肩書き」「面白い話」「ためになる話」「進捗を生む話」をどう作るか?ということに腐心していた。

 今もこの感覚は抜けていないし、特に尊敬する人や大事な人、気になる人やあこがれの人には強く覚えるところで、大体裏目に出るから情けない。

 そしてこの感覚があると、「あなたはどう思ってるのかもっと知りたい」という感覚や問いかけもできないから、うまくコミュニケーションが取れなくなる。あなたを深く知るということは、あなたの思っていることをもっとたくさん教えてほしいという根源的なものなのに。

 この感覚のまま、「人には優しくしたほうがよい」「気配りをもっと」「相手のことを考えて行動」という教えにたどり着くと、目の前の相手のことを深く知ることができないのに、どうにか気遣いをしようとするから、的外れになったり逆に距離感を見誤ったりする。

 いま、コミュニケーションに悩む、私と同じような属性を持つ人たちへ伝えたい。自分の加害性を薄めていく努力(例えば身なりを整えてみたり、頑張れることに真摯に取り組んでみたり、勉強し続ける姿勢をとったり)をしていることはとっても素晴らしい。

 あなたはもう大丈夫、だから、自分の感情、ことば、考え、色々な機微を伝えられるように意識してみたらいいと思う。それを受け入れてくれる人と付き合っていけば、人で悩むことは減るんじゃないか。受け入れてくれる人は、例えば学校のクラスにはいないかもしれないけど、まちには、世界には、バーチャルにはいるかもしれない。

 最近、自己紹介を求められたときには、肩書きや経歴の紹介ではなく、いまこの場所にいる気持ちや、来ることを決めた気持ちを話すことにしている。(大学生であること、というのは大人からの認知が歪むので、聞かれないと言わないようにしている。)自己紹介をする場は、絶対にみんなが聞いてくれる場で、自分のことに興味を持ってくれているという最高の場所。あなたの気持ちにいいな、と思ってくれた人を引き寄せてくれる方法なのでお試しあれ。

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