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父さんのたんじょうび



かれこれ25年も生きているので
累計で何百、何千回と誕生日のお祝いを見てきたし聞いてきたし、言ってきたはずだ。


なのに、今日はチャットの入力画面の前で私の指は動かなくなった。

今日は世界で一番強くて頼りがいがあるけど、同時に世界で一番弱くて繊細な
「父さん」という生き物の誕生日だから。
とっておきの一言を探していた。

画面にとりあえず「誕生日」とだけ打ち込んでみた。

その文字を見ながら、
私は父さんの誕生日がなんだかよく分からないものであることに気付いた。


誕生日というのは、もちろん父さんの生まれた日だ。
それは、わかる。


それは、59年前の今日だ。
つまり、私が生きてきた25年の、
その2倍プラス9年前の今日なのだ。

経験したことのない年月をさかのぼった「誕生」が何だかぴんと来なくて
素直に感動できないのは仕方がないだろう。



私はチャット画面から「誕生日」の3文字を削除した。


そして、
かわりに、「おめでとう」と入れてみた。
曲線の多いひらがなが5つ愛らしく並んでいる。


ただここで私はあることを思い出した。

それは大学受験の結果が合格だと分かった
あの寒い春の日に
贈られた言葉ではないか。

だとしたら、これは何かいいことがあった人、本人に贈られるべき言葉なんだろう。



父さんの誕生で一番得をしているのは、一番幸せを感じて喜んでいるのは誰だろう。



それは他でもない私なのではないかと思う。


もちろん、父さんがいるから私がいるわけだし、
何より、父さん似だと言われ続けてきたこの顔は、
最近になって、あの人気女優に似ているとのもっぱらの噂もある。
私は鏡を見ながらこっそりにやにやしているのである。


うん、確かに私だ。


ということで、今年「父さんの誕生日おめでとう」という言葉は真っ先に自分自身に贈ることにして

きれいに並んだ「おめでとう」の5文字を丁寧にけした。

危うく送る相手を間違えるところだった。



ただ、父さんの誕生で幸せになったのはもちろん私だけではないので、
私の次に家族全員に「おめでとう」を贈ろうと思う。



最近、私は人ってすごいな。と思うことがよくある。
人はそこに存在するだけで、世界環境を日々少しずつ変えている。
さらにその人がちょっといつもよりにこやかに挨拶してくれるだけで
なんだか一日ちょっと気分がよくなってしまったりするものである。
きっとちょっと気分のよくなった私から
いつもよりちょっと多めにエサをもらった
クロちゃんも、ちょっと気分がいいはずだ。


人は知らないうちに世界をちょっと気分よくしていたりするのだ。
そんな「人」が、ともすれば一生懸命働いたりするもんだから、
世界はたった一人の影響だけでもまあハッピーでハッピーで仕方がなくなるはずなのである。

人が一人生きるってすごいことなのだ。


だから、実は父さんの誕生日に際して「おめでとう」と言われなければならない立場なのは
父さんの周りのすべて、もしかしたら世界中の人たちなのかもしれない。



と、ここまで考えて、
もう一度視線を戻した入力画面には
まだ、一番左端に、細い縦線が
何か物欲しげに チカチカしているだけだ。


もう日は高くなって
春の明るい光が部屋を暖め始めている。


うん、今日のところはひとまず、
世界中の人たちに誕生を喜ばれて、少なからず嬉しいであろう父さんに
お祝いの言葉を贈ることにしよう。

「誕生日、おめでとう。」

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