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社交不安症(SAD)と離人感 

社交不安症(SAD)について物申したいことがまず、一つ。
この病気について検索すると、決まって"人に見られている場面で何かをすることに強い緊張や不安になる"とありますが、前半部分に意義ありです。
もちろん、人に見られる場面で緊張するのは当たり前ですが、見られてない場面や文面でのやり取りでも酷い不安や緊張に苛まれます。

はじめましての方、見つけてくださってありがとうございます。
私は冬森アトとして詩を発信しています。この度は詩集ではなく、
社交不安症や他の要素を掻い潜ってこれら症状と向き合っていくための手段を模索していくための最初の章です。社交不安症の理解者様なら詩を書くの?と違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。なぜなら物語ならまだしも詩という我を曝け出す側面のつよい媒体。何かしらアクション(言葉)を発し、書いた内容に自信がなくなりネガティブな感情になれば不安と緊張は襲ってきます。まさに、症状を引き起こすステップを再現するのが詩を書くことです。
この病気で言葉を発するまた書いて届ける行為は向いていないのが結論だと思います。だけれども簡単にはやめられないから書き続けているのです。


社交不安症と離人感について


久しぶりにこの病気を検索して調べたところ「人からどのように見られているのかを必要以上に気にしてしまう病気」とありました。
何を驚いたかって熟知していたはずの自分の症状に改めて納得感を得られたこと。少し反省したというか、自分の症状について私は「あぁ、分かってなかったんだ」と気持ちが落ち込みました。分かってると思ってたのに、やはり、変なの、です。

変、の一つに。気持ちと自分を分けて天秤にかける、乖離、などがあります。つい先程これに似た言葉に離人感があることを知りました。
伝えたい気持ちは人一倍ある方だと思っているのに書いては消してを繰り返すことで傷ついてるのもこの離人感が問題の一要因となっています。

離人感・現実感消失症では、身体または精神から自分が切り離されたような感覚が持続的または反復的にあり、自分の生活を外から観察しているように感じること(離人感)や、自分が外界から切り離されているように感じること(現実感消失)があります。 

://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/10-心の健康問題/解離症/離人感-現実感消失症


完成した詩が辛辣な内容だったりするとジレンマに苛まれます。
これは私の気持ちであって私の気持ちではないかもしれない、だけれども
私から生まれた言葉であって、これを投稿しようかしまいか、、と。

最近では先にも書いたように投稿してすぐ消すことが多いです。別の場所に書くなりしておけばいいのに、、と思いますが、、。"私の気持ち"が先走ってしまう。「よし、noteをすぐ投稿するのはやめよう」と決めても、
例えるならと自暴自棄込みの"ここにない感覚" やや投げやり、何も考えてないみたい、で(例えれてないかも、なんて言えば良いのだろうか)苦しいと分かってから投稿ボタンを押すことがあります。

こんな面倒な離人感のおかげだけれど、良い詩が書けることもあるからやめられないのかもしれない。私は離人した気持ちに依存してるのかな?問います。そして乖離した言葉を崇める節があると気づきます。

必要以上に気にする病気とこの離人感のせいで日々私がアクションを起こすには良い時と苦しい時の大きなギャップが生まれます。それでも書くことをやめれないのはどうしてだろう。と考えると、病気でもあるしそれが私にとって必要な武器でもあると思ってしまってるからです 私、私、私、もうどの私かわからなくなったけれど、こう思うこともあぁ思うことも全て自己防衛の一環なんだと思えてきます。
切れても切り離れない、私がいてそれは偽りの自己愛であるでしょうか。
深く依存している気もします。


病気を言語化することとは


ようやく最近上手く私の病気を言語化できるようになってきました。以前は苦しくて恥ずかしくて情けなくて諦めて仕方なかったけど伝えることは大丈夫になりました。気持ちではなく、リアルであればお届けできるかもしれない。不思議な言い方ですね。笑。でも嬉しいことではあるかな。気にしないという感覚になれている気がするのは。

今後、また衝動的に詩を投稿することはあるかもしれないけれど、、(ご覧くださっている皆さんには本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。)こんな形で体験談で具体的にこういう場面でどう感じるなどを拙くても文章にしていきたいと思います。



筆者コメント

一冊本を書き上げるために原稿用紙で綴っていくのは心細いしきっとポキッといっちゃうし、かと言ってやらなければ絶対後悔すると思い直して書き始めた結果、至りますが、どうだったかな。と自分に問うて見る。うん。自分を傷つけてる感覚はないのでできそうな気がする。
ということで、少しでも皆様にこの病気や感じ方に興味を持っていただくために今後も執筆を続けて参りますのでお知り合いなどに拡散していただけるととても励みになります。
こんな私ですが、誰かの光になりたいと思ってもいい。そして私も誰かも突破口を見つけられたらもっと日々楽しいことに目を向けられる。発信することで患者での共有の場が広まればきっと病気は苦しいものだけどそれだけじゃないものになります。

ご一読くださってありがとうございます。







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