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🐝緒真坂「スズキ」🐞☺️(読書感想文)😃💕✨

(1)発端

noteの記事がきっかけとなって読みはじめた作家がいる。緒真坂さん。
毎日のように更新される記事を楽しみに読むことが、いつしか私の日課になった。

2021年12月4日。
新作「郵便小説 ぴむぽむ 空豆少女」の発売日、著者ご本人が現れるということなので、わたしは江古田に向かった。

比較的長い時間お話したと思う。小説のこと、国語の教科書のこと...💡そういえば「点と線」という音楽をかけていただいたっけ。わたしは松本清張の「点と線」のことを思い浮かべていた。関係ないけど😳💦。

「郵便小説 ぴむぽむ 空豆少女」は帰りの電車で読みはじめて、家に帰ってから一気に読んだが、もう一冊購入した「スズキ」は後の楽しみにとっておいた。

(2)「スズキ」

早いもので「郵便小説 ぴむぽむ 空豆少女」を読み終わってから2週間が過ぎたとき、同じ日に手にしたもう一冊の「スズキ」を読んだ。

「スズキ」の謎。ミステリー小説を読むような気持ちで読んだ。
一読して何か不思議な気がした。謎が解けたような、解けていないような。
もしかしたら、伏線を見落としたかもしれない。もう一度読んでみた。

2回目に読んだとき、これは「記憶の物語」なのかもしれない、と思った。
もう少し細かくいうと「自分の記憶との対話」の物語。

過去が遠くなっていくにつれて、過去は記憶の底へ沈んでいく。完全に忘れているわけではないが、徐々にあいまいになっていく。
ふと過去を思い出すとき、それは曖昧になった過去の自分の記憶と対話しているようなものではないだろうか?

誰も自分と同じ記憶をもっている人はいない。だから、この「スズキ」を読んで読者が想起する過去は、人それぞれ違う。100人いれば100通りの異なる「スズキ」を読むことになるだろう。

同じ文章を読むのに、全員が異なる感想をもつような物語。そういう意味でもミステリアスな感じがする。

(3)どう感想を書こうか?

noteに書く感想文は、学生時代に書いた感想文とは性質が異なる。noteに書く感想文は、自分の感想文を読む人がその本を「読んでいない」という前提で書く。だがら、物語の内容に踏み込み過ぎると「ネタバレ」になってしまう。
内容に深入りせずに、楽しさを伝えなければならない。

雰囲気だけいうと、こんな感じかもしれない。

「ラノベほど軽くはないけど、教科書で学ぶ文学ほど重くはない感じ」

わたしにとっては、とても読みやすく、頭を抱えるような難しさはない。けれど、ちょっと考えさせられるような何かを残す物語。
そのような文体と内容が、私にはとても心地よい。

「小説を読む」というのは、作者がつくった「小説」という器に、読者が読者自身の「気持ち」を注ぐことなのかもしれない。



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