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激論 | ネタバレのない書評は書評ではない。

ネタバレ。未公開の映画の中身を事前に公開してはいけない。しかし、作品の中身にまったく触れないレビューや書評に意味があるのだろうか?

もちろん、新聞に掲載されるような「書評」とは、その著書を読んでいない人に対して、「読んでみてはいかがですか?」という読書欲を高めるものだから、内容全部を書くわけにはいかない。しかし、まったく内容に触れないのは可能だろうか?

 内容にまったく触れない書評があるとすれば、その著書の周辺のことしか書けない。あるいは全体的な漠然とした印象を書くか、そのどちらかだろう。

 「面白かった」「つまらなかった」「前作は◯◯だった」「今後に期待する!」etc. 

 ある程度、核心に触れることがない書評でないと、その著書を読んでみたいとは思えない。
 また、こうも思う。シェイクスピアやオペラ座の怪人のような演劇を見に行く人は、ストーリーも、ひょっとしたら全セリフも暗記している。それでも見に行きたいと思うのは、頭の中にある知識だけでは物足りないと感じているからだろう。

 読書もそれと似たところがあるように思う。1度、2度読んだことがあっても、以前とは異なった印象をもつかもしれない。もっと細かな魅力に気がつくかもしれない。


書評・読書感想文の読み手として

 今までにnoteに何回も「読書感想文」を書いている。その度にどこまで踏み込んで書いたらよいか迷う。しかし、基本的には「ネタバレ」が書いてあると思っていたほうがよい。
 その上でだが、読書感想文を読む前に、自分のスタンスを決めておくのもよい。

 読書感想文を読んで、どのような内容が書かれているのか要点だけを知りたいのか?
 それとも、読書感想文を読むことで、「読んでみたい」という気持ちになりたいのか?と。

 これから読みたいと思っている本ならば、事後的に読書感想文を読んだほうがいい。まっさらな状態で読んだあとに、他の人がどのようなところに関心をもったのか?、と考えながら読むのは面白い。


書評・読書感想文の書き手として

 基本的には、自分で読んでみて「面白い!」と思った作品について書く。「つまらなかった!」「読むに値しない!」のように思ったのなら、なにも書く必要はない。少なくとも今は。。。
 というのは、読書には「読む時期」というものがあるからだ。青春時代に読んで面白かったものが、大人になって読んだらまったく面白くなったということもあるし、その逆もあり得る。
 また、読書には年齢だけでなく、そのときに置かれた自分の心理状態とも関係する。だから、今読んでつまらない、と思って切り捨てるのはちょっともったいない。
 もちろん、どんなに素晴らしい作家の作品でも「駄作」はある。しかし、およそ一流の作家の書いたものならば、全集を読んでいくうちに、傑作も駄作も関係なくなるときが来る。
 必ずしも、前進ばかりではない。後退があっても、その人が目の前で語っているかのようになるまで待とう!
 基本的に、書評・読書感想文は好意的に書いたほうが、自分のためにも、著者のためにもなると思う。


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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします