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短編 | 別に私じゃなくても...

 私は塾講師。学校の先生とは違う。煩わしい学校の行事はないけど、お金をもらっている以上、生徒の成績を少しでも上げなければ私の存在価値はない。

 けれども、長年講師をやって思ったのは、生徒に勉強そのものを教えることよりも、どれだけ生徒のやる気を引き出せるかが腕の見せどころだということ。

 講師を始めた最初の頃は、一時間の授業を行うとして、理想的には、まるまる一時間、勉強の話だけしていられるのが良いと思っていた。
 だけど、違うのよね。

 勉強が好きで、言われなくても勉強するような子ならそれで良いけれども、そもそも「何で勉強するの?」という疑問を持っている子にいくら勉強を教えようとしても無駄。まずはその生徒がなにに興味をもっているのかを探ることが大切。

 アイドルの話でも、面白いYouTubeの話でも、好きな異性の話でも、何でもいいからその子が最も関心のあることを探ることが大事。

 そこから何とか勉強につながるトピックを見つけられるかどうか。生徒が打ち解けて私に話しかけられる雰囲気を作る。

 でもね、その子の成績が伸びるかどうかは、2、3回出会って話せば分かってしまう。
 今は勉強が出来なくても、マンガでも何でもいいから読書が好きな子は必ず成績を伸ばすことができる。

 今までに私が成績を上げることが出来たのは、みんな読書が好きな子ばかりだった。
 読みたい本を、次から次へと見つけられる子どもは、勉強に少し気を向けさせてあげれば、こちらからいちいち指図しなくても次になにをやれば良いかわかる。

 逆に、今はたとえ成績が良くても、私が「これやれ、あれやれ」と言わなければ自分でなにをすれば良いのかわからない子は成績が徐々に下がっていく。

 そういうのを何人も見ていると、成績が下がっても「私じゃなくても無理」と思えるから気楽な反面、成績が上がっても「私じゃなくてもよかった」という気持ちになって「なんだかなぁ」と思う。

 成績が上がっても下がっても、「私じゃなくてもいいじゃん」って思っちゃう。


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