読書感想文 | 遠藤周作(著) |「さらば、夏の光よ」
コロナ禍になってから、書店や図書館には行きづらい状態だったので、ここ2、3年は、新しい本ではなく、自宅にある、以前読んだことのある本を読むことが多かった。
その中で、10年くらい前に読んだ、遠藤周作「さらば、夏の光よ」(講談社文庫)を再読した。
比較的軽い文体で書かれていて、ストーリーも単純なのだが、今回読んでみても非常に心をうたれた。
読んだあと気がついたのだが、遠藤周作が生まれたのは、1923年だから、今年は生誕100年にあたる。亡くなったのは、1996年、73歳。今思うとまだ若かったんだなぁ、と。
以下では、「さらば、夏の光よ」の内容に触れます。結末についても触れます。
同じ大学に通う、ハンサムな南条、美人の戸田京子、不細工でのろまな野呂。
南条と野呂は親友である。南条は戸田京子に好意を抱き、親友の野呂の援助もあって婚約することになった。
婚約中に京子は南条の子どもを宿したが、南条はとつぜん事故で死んでしまう。
「でき婚」に対して寛容でなかった当時の風潮の中で、京子の両親は暗に堕胎することをすすめる。
京子はひとりでも南条の子どもを立派に育てるつもりでいたが、孤独を感じていた。
そんな中、野呂は京子のもとを訪れて、結婚したいという意思を伝える。
京子の両親は、妊娠していることを知っていながら結婚することを申し出てくれた野呂に感謝したが、京子は生理的に野呂のことを愛することができない。
しかし、京子は自分の両親が途方にくれている様子を見つづけていることができず、野呂と結婚することを決意した。
結婚して暮らしていれば、野呂のことを愛せるようになると思っていたが、どうしても不細工な野呂のことを好きになることはなかった。つねに思っていたのは、愛する南条の子どもを出産することだった。
しかし、死産だった。京子は、愛する南条を事故で失った上に、その子どもまで死産してしまい、生きる意味を見いだすことができなくなった。
野呂はそんな京子を、結婚したあとも一貫して愛しつづけていた。京子も野呂の気持ちを十分に感じていたし、感謝もしていたが、どうしても野呂を愛することができない。
南条とその赤ん坊を失った喪失感と、どうしても野呂の愛を受け入れることができない自責の念に耐えられなくなった京子は、ついに自殺してしまう。
野呂は京子の死後、大学の恩師・周作に次のような手紙を書いた。
「人間は善意だけで生きることはできぬと始めて知りました。僕が彼女と結婚したのは彼女が受けた傷を少しでも癒してやりひとりぽっちになったあの人の杖にでもなればと思ったからだったのです。だが、そのぼくの立場がかえって京子の傷口をひろげ、その孤独を更に孤独にしていったことを、今、京子が死んでから始めて知ったんです」
善意さえもって人と接していれば、心を通わせ、幸せにつながると考える人は多いだろう。
しかし、善意というものは時として、苦しみや不幸をもたらすこともある。考えさせられるテーマである。
要約すると、上(↑)のようなストーリーなのだが、それ以外に気になったことを最後に書いておく。
作中の「周作」は、作者・遠藤周作とどこまで共通しているのか?
作中にフロベール「ボヴァリー夫人」が何度か触れられていること。
南条の育った場所をなぜ長野にある古墳群の近くに設定したのか?
遠藤周作の作品の中で私がいちばん最初に読んだのは、「沈黙」だった。高校の国語の問題集に載っていて気になったので、文庫本で読んだ記憶がある。
たぶん「文学的な価値」は「沈黙」のほうが上だと思うが、読みやすさや内容の奥深さを両立させている点で、「さらば、夏の光よ」が最も好きな作品である。キリスト教的な側面が、少なくとも表面上には記述がなく、「サラッと」読めるところもよい。
南条、戸田京子、野呂、周作という四人のどの視点で物語を読むかで印象が変わるかもしれない。
私は野呂を主人公として読んだが、戸田京子が主人公かもしれない。
いや、撹乱要素の周作自身が主人公かもしれない。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします