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シニア世代の二極化?

個人的な話をする。

いつの時代にも「最近の若者は~」のような言い方をする人がいる。

職場には、自分より年上も年下の人もいる。話していて、いつも「最近の『老人』は~」と言いたくなってしまう。

まぁ、年齢に関わらず、感じのよい人も感じの悪い人もいるものだ。しかし、年下の人と話していて不快な思いをすることがほとんどないのに対して、「最近の老人」と話すとイライラしてくることが多い。

もちろん、すべての老人とは言わない。正確に言えば、「最近の老人」は感じの悪い人と感じのよい人が半々といった感じである。

もしかしたら、若い人は、その場の空気を読んだり、相手を慮ったりしながら言葉を発しているのかもしれない。しかし、おもてだってイライラを私にぶつけることは少ない。ほとんど皆無。

それに対して、こちらは普通に話しているのに、私に直接のないことでイライラをぶつける「老人」が多すぎる。心に余裕がないというか。

普通に話せば、普通に相手が理解できることを、なぜ「怒鳴り口調」で言うのだろう?こちらはとても嫌な思いをするし、言っている本人だっていい気分になることはないだろうに。一時的にストレス発散になっても、それはやはり一時的なことだし、かえってストレスをお互いに溜め込むだけなのに。

職場だと年齢だけでなく、地位、職歴の長さなどさまざまな要因が絡むからかな?、とも思うが、職場以外のところで出会う「老人」にもすごーく感じの悪い人がいる。なんなんでしょうね。

まぁ、原因を考えたいとか、ウップンを晴らしたいとか、そういうことではなく、経験を積むごとに穏やかになっていく人と、どんどん短気になっていく人とに二極化するのは何故だろう?

私の言う「感じの好い人」と「感じの悪い人」とを分かつ基準を簡単に言うと、
例えば、『きみまろ漫談』をゲラゲラ笑いながら楽しめる人が「感じの好い人」、目くじらをたてて怒る人が「感じの悪い人」。

昔の私だったら、相手の態度がおかしくなるのは「私のせいかな?」なんて反省したけれども、どう考えてもそうじゃないんですよね。
「感じの悪い人」ってたいていどんな人に対しても「感じが悪い人」なんですよ、きっと。

私もひょっとしたら、「感じの悪い人」に近づきつつあるのかもしれない。気をつけねば、と思う。なるべく「感じの好い人」や「若者」との付き合いだけにして、感じの悪い人とは接触事故を起こさないように気をつけたい。それが処世訓として正しいと思う。

しかし… ..哲学的には正しくないんじゃないか?、と思ってしまうのが私の煮え切らないところである。無駄かもしれないと思いつつ、話し合えばもしかしたら理解し合うことができるのではないか?、と考えてしまう頭がある。

「好き」を極めるのも大変だが、「嫌い」を極めるのはもっと大変。あえて困難な道を選ぶのが哲学者なら、私は哲学者にはなれない。だから、私は「哲学者」と「非哲学者」との間に存する中途半端な「妄想哲学者」を目指そうかな?、なんてね😄。




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