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私と愛猫チャチャさんの体験


2022年6月15日未明、私の愛する猫チャチャが空へ旅立っていきました。この時のチャチャは、享年9歳(人間換算52歳)だったのです。飼い猫の平均寿命は15歳なので、とても若すぎる死でした。

猫は人間に比べて早く人生を駆け抜けます。同じ時間を共に過ごしていても、私たちが猫を看取るのは宿命なのかもしれません。ですが、若すぎる死を遂げた事で、飼い主としての私も受け入れがたく、とても悲しい想いをしたのです。

チャチャの「しんどい」の声を聞き漏らしてしまったことによる後悔。元野良猫だったチャチャの3人目の飼い主として良い飼い主であったのか不安になりました。チャチャの声が聞きたい、また抱っこさせてほしいと恋焦がれて姿を探してしまっている自分がいます。わがままな自分に付き合わせたのではないかという思いが巡ります。

チャチャが亡くなった時は、とても悲しくて『もう立ち直れない』と考えていました。今はチャチャとの思い出と共に、猫達が幸せになれるような行動を起こしていきたいと思えるようになってきています。私が経験した行動が、ペットロスになったあなたが立ち直るキッカケであってほしいと願って体験をお伝えします。


チャチャとの出会い

元々野良猫だったチャチャは、保護猫活動していた方に保護されて飼い猫になりました。保護主さんから前の飼い主であるYさんに譲渡されることになったようです。Yさんが体調不良になり飼育が出来なくなったため、2017年3月の終わりに私の家族になりました。私と先住猫サビ猫クロちゃん5歳(人間換算36歳)と一緒に過ごすことになっています。

この時、チャチャは4歳(人間換算32歳)でした。チャチャは元々野良猫で、保護されてから私と暮らすまで、他の人と半年間、人慣れするために暮らしていたようです。ですが、彼女の人生の価値観はブレることなく、芯のある性格を見せてくれました。


チャチャとの生活

我が家に来ていたチャチャは、私の寝室で生活をすることを好んでいました。寝床とご飯をゲージに置いていたからか、好んでゲージの中で過ごしていたのです。「外に来てもいいよ」と言っていても、自分のスペースを大事にしていました。先住猫のクロちゃんとは「付かず離れず」の距離感で暮らしていたのです。

一人でのんびりすることと、あごの下を撫でられるのも大好きな猫でした。抱っこと、かまわれることが嫌いで、高いところは好まない猫だったのです。チャチャにとって高いところは、こたつの上でした。私との生活になると、ケージの外で暮らすようになりました。

夏はパソコンの上、冬は人間用の足のカーペットが好きな子でした。味噌汁の出汁を鰹節から取っていると「その鰹節をちょうだい」とそばに寄ってきます。人間用の鰹節は塩分が高めなので、猫用の鰹節を出すと喜んで食べてくれるチャチャさんでした。

料理のために鶏のささ身を取り出した後、ささ身が入っていたトレーに残っている汁をなめていました。「家猫としての生活が長くなっても、野良猫生活は抜けないのね」と思わせる、目地からも強く、気の強くて可愛い猫でした。

私がチャチャを抱っこすると「シャー」と言って怒ります。まるで「甘ったれてるんじゃないよ」と言いたげでした。ですが、私の体調が優れずに動けないときは、体をスリスリと寄せてきて慰めてくれるんです。ツンデレの優しい猫でした。

チャチャさんの変化

2022年5月下旬から、チャチャの行動パターンが変わりました。ずっと寝室を好んでいたチャチャが、キッチンを好むようになったのです。コタツの上が好きだったチャチャさんが高いところに行くようになったのは、正直いうと驚きでした。食器棚の食器や鍋を落として、食器棚の上で過ごすようになったのです。そして、電子レンジの上でまったりしたり、さらにその上の棚(上の方)でのんびりくつろいでいる姿を見かけました。

いつもなら低めの机の上までしか行かないチャチャなのに、どうしたのかと思ったものです。高いところから下を見下ろすチャチャの顔は、穏やかにやさしく笑っているように見える顔でした。「どうしたのチャチャ、抱っこさせて」と言っても、スルーして動きません。上から部屋全体を眺めている顔が、穏やかに見えました。

それが2週間と少しすぎ、6月14日にはチャチャは高いところから降りてきて、テクテクと私のそばに寄ってきました。いつもなら抱っこするとシャーと言ってくるのに、自分から私の体に乗ってきて話しをしてくれたのです。口角が少し上がっていて、笑顔にも見えました。

チャチャは私の話を一通り聞いた後、お気に入りの猫用トイレに入っていき、自ら寝る体制をとりました。思わず「チャチャ、寝るのはトイレじゃなくて良いよ。ここにベッドがあるよ」と声をかけて、抱っこしてベッドに移動させました。

でもチャチャは納得いかなかったようで、自力でトイレにテクテクと歩いて戻ってしまいます。また私が抱っこしてベッドに移動するけれど、チャチャがトイレに自力でテクテクと歩いて戻ります。それを3回も繰り返したときに、お気に入りだったトイレであることを思い出し、「もう好きにして」とトイレで休んでいただくことにしたのです。

その後の午後9時半過ぎから、チャチャはゴロゴロと言いはじめました。人に甘えてくるゴロゴロではなく、深い音でゴロゴロとしていたのです。「チャチャがゴロゴロいうなんて珍しい」と思いつつ、様子を見ていたら、ゴロゴロはなかなか収まりません。これは、しんどい時のゴロゴロかもしれないと思いました。


チャチャが空に行った日

日付が変わってもゴロゴロが続いていて、治まる気配もありません。「チャチャ、朝になったら、病院に行くからね」と、1時半過ぎまでチャチャに語り掛けていました。チャチャがゴロゴロと言うのは変わりませんでしたが、病院に連れて行くためには私も休息を取らないといけないと思い、私も2時前には眠りについたのです。

15日の朝、起きたらゴロゴロしなくなっていたのです。「チャチャ、病院な」と思って抱きあげたら、チャチャの死後硬直が始まっていました。「チャチャ、なんで?」「ねえ、チャチャ。そんなに病院は嫌いなん?」「私の対応が遅すぎたの?」とチャチャに問いかけながら、泣いてしまったのです。

チャチャへの問いかけに何も答えてくれず、しばらくは茫然としてしまいました。頼りない私が甘えに行ったら「しっかりしなさい」という思いを込めて「シャー」と言ってくれていたのに、亡くなる前日は私に思いっきり甘えさせてくれたのです。その時にチャチャの異変に、もっと早くに気づくべきだったと後悔しました。

何も考えられなくなって茫然としていたら、気が付けば昼が過ぎていました。別れを惜しみたいけれど、綺麗なチャチャは綺麗なままで記憶に残ってほしいとも考えました。「チャチャを綺麗な姿のままで、空に行ってもらいたい」という思いが強くなり、ペット専用の葬儀会社に連絡し、夕方からの葬儀に対応していただきました。

葬儀の方が来るまで少し時間があったので、花屋さんで花を購入し、チャチャの上に花と好きなチュールを乗せて、葬儀屋さんを待ちました。時間通りに来た葬儀屋さんが、チャチャを迎えに来た人も「この度は、ご愁傷さまでした」と人を扱うように対応してくれたのです。

猫の火葬の時でも、葬儀者の方は人に対応するように接してくれました。葬儀社に託した2時間後、チャチャが骨になって帰ってきたのは16時でした。まだ温かさが残っていて、思わず「お帰り、軽くなったね」としんみりしてしまったのです。

チャチャの最後は、トイレで眠るように逝きました。私の寝室で、私の一番近いところに置いているトイレでした。「自分の意思で私のそばで寝る」という行動を起こしてくれたことに感謝し、できることならチャチャが私と生活してきた思い出が、チャチャにとって幸せであったと信じたいと願っていたのです。


チャチャがいない日々の苦悩

大きい猫だったチャチャ、モチモチしていたので抱きやすかった。なのにチャチャは抱っこ嫌いでした。9年間の猫生を生きた中で、チャチャが私と暮らした5年間は幸せだったのでしょうか?チャチャにとって私は3人目のママだったけど、チャチャにとって良いママであったのでしょうか?

チャチャの葬儀後、すぐにチャチャのために仏具を揃えました。苦しみのない世界に導けるようにと願い、お香に火を灯してチャチャに思いを寄せたものです。何度お線香をあげても、チャチャは幸せになれるかしら?どんなにチャチャの事を思っていても、チャチャの心はわからない。チャチャの想いを知りたいという思いが、日に日に募ります。

出来るものなら、チャチャの声を聴きたい。そう思ってアニマルコミュニケーションを予約しました。アニマルコミュニケーションとは、写真をアニマルコミュニケーターさんに見せて、ペットの声を聴かせてくれるところです。


ペットロスを癒したアニマルコミュニケーション

チャチャさんが亡くなった翌月である7月23日。猫clubクーニャン(神戸市中央区)で月1回行われるIKUKOさんによるアニマルコミュニケーションに参加しました。チャチャの写真を渡して、チャチャの声を聴くための体制に入りました。

アニマルコミュニケーターに「年齢は?」と聞かれて、「享年9歳」と答えます。続けて「お名前は?」と質疑応答をしながらチャチャの猫生について話していきました。チャチャの性格、私と過ごした5年間のこと、亡くなった時の事を話しました。

「チャチャが私と暮らした5年間、幸せだったかを知りたいんです。と切り出しました。
IKUKOさんは「チャチャはね、水谷さんの事を分身だとおもっているよ。チャチャは水谷さんそっくりですね」と言いました。私自身は似ているかは意識していなかったのですが、「ブレない女子なところとか、甘えるのが下手なところとかがそっくりですよ」と言ってくれたのです。

続けて「チャチャは抱っこされるとシャーって威嚇していたでしょう。水谷さんは抱っこされることはないだろうけど、ベタベタされるのは好きじゃないでしょう」と言いました。「チャチャもそうなのよ。チャチャは水谷さんのことをリスペクトして、オマージュして真似していたのよ」とチャチャの写真を見ながら、チャチャの写真を微笑ましく見ながら語ります。

猫のトイレとご飯をしっかり増やして、チャチャを置いて2泊3日の旅行に行った時があった。クロちゃんは避妊手術のために病院にいたこともあり、チャチャに申し訳なかったことをしたと話しました。IKUKOさんは「チャチャはその時はさみしかったね〜」と、チャチャの写真と語るように話します。

私は「チャチャ、鰹節が好きでたくさん買っていたのに、人から貰った賞味期限の近い猫のお菓子を先にあげていたんです。亡くなった後にチャチャの好きな鰹節が出てきて、『チャチャにあげるの忘れた』と思ってしまったのが後悔なんです」と話しました。

IKUKOさんに言ったら、チャチャの写真を見ながら「鰹節、欲しかったよね。でも、後悔が残っていてもいい」と応えてくれました。不思議に思ってその言葉の意味を聞き返すと「少しぐらい、後悔が残っててもいいのよ。後悔が残ってることで、今いる猫さんたちをその分大事にできるから」と返ってきて、少し心が軽くなりました。

「チャチャの存在を感じることはない?」と言われて「朝起きたときに、そばにいる気がするんです」と答えました。「存在を感じているのなら、そこに本当にいるのよ、チャチャの魂が」と言ってくれました。

愛猫チャチャの亡き後、離れたくなくて遺骨をそばに置いています。「骨が私の手元にあって、チャチャが苦しいなら、祀らないといけない。そこが不安」というと、「チャチャのお骨が手元にあるからって、チャチャの魂が不幸になるわけではない。水谷さんの納得のいくようにしましょう。そんなにチャチャを愛しているのだから」と言ってくれたのです。

チャチャには生きているころから、「大好きだよ、愛しているよ」と伝えていました。亡きあとも「私のお母さんでいてくれて、ありがとう」と思います。アニマルコミュニケーターであるIKUKOさんには、チャチャの言葉を私に伝えてくれて感謝しかありません。


まとめ

猫を多頭飼いしていたからといって、1匹の猫を失っても心は悲しくなるし、喪失感を味わいます。ましてや大事な猫だからこそ、余計に出来ていなかったことにも後悔が残ったりします。

仏具をそろえることも、アニマルコミュニケーションを使うことも、同じ体験をした人と話すことも、ペットロスから立ち直るために必要なことと言えるでしょう。アニマルコミュニケーションで話すこと、また誰かに話を聞いてもらったり、受け入れてもらう事で、心が癒されます。

ペットたちは私たち飼い主が、いつまでも悲しんでいることは願っていないと思います。ペットとの大事な思い出とともに、前に進んでいくためにも現実を受け入れつつ、生活をしていきましょう。


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