八月マヤ

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ヤマモトの場合④

それでもレアに毎日電話をかけた。呼び出しもしなかったが、また電波が届かないのかもしれない。でも自分でもわかっていた。もうレアとはおしまいなのかもしれないと。 私…

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3年前
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ヤマモトの場合③

夫婦になれば一緒に暮らせる。そんなことは当たり前のことだ。子供が生まれる前にはレアに日本に来れるのだと思っていた。しかしそうはならなかった。レアの在留資格が取れ…

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3年前

ヤマモトの場合②

こんな気持ちになったのはたぶん生まれて初めてだった。レアのことが頭から離れなくなった。朝、起きても、仕事をしていても。いてもたってもいられず、店に会いに行った。…

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3年前

ヤマモトの場合①

ある日、手紙を受け取った。ちゃんと自分宛てに届く郵便物を受け取ったのは本当に久しぶりだった。「親展」と書かれた白い封筒には知らない団体の名前が書いてあった。 手…

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3年前

レアの場合⑨

マイコは17歳になったばかりだ。だから結婚はまだ早いにしても、恋人くらいはいてもおかしくはない。私だって15歳の時には恋人はいた。結婚はちゃんとした相手としてほしい…

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3年前

レアの場合⑧

何もかもが嫌になる。日本に来れば仕事もして、それなりに楽な生活ができると思っていた。たくさんお金を稼げば、ファミリーも喜ぶと思っていた。でも食べていくのにやっと…

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3年前

レアの場合⑦

アキヤマから紹介してもらったフィリピンパブは小さな店だったが、結構お客は入っていた。ほとんどが常連客で、近所の自営業の人が多かった。以前は若いタレントが3カ月お…

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3年前
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レアの場合⑥

弁当工場での仕事はきつかった。1日8時間、残業2時間、ほとんど立ちっぱなしの作業だった。夜勤もあった。しかし思ったほどの収入にはならなかった。タレントとして働いて…

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3年前

レアの場合⑤

ジェイソンの一番上の姉はアメリカ人と結婚していてアメリカにいた。この家もその姉が両親に買ってあげたものだった。ジェイソンは3人きょうだいの末っ子で、すぐ上の姉は…

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3年前

レアの場合④

両親は驚いたけど、すでに妊娠していることを告げると渋々結婚を認めてくれた。いろいろと手続きはたいへんだったけど、知り合いの知り合いのエージェントに頼み、在留資格…

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3年前
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レアの場合③

私は店では、メイと呼ばれていた。本名はレアだけど、私は日本ではメイだった。半年はあっという間だった。お客さんからお尻や胸を触られることは日常茶飯事で時には酔っ払…

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3年前
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レアの場合②

面接会場にはたくさんの女の子が待っていた。私と姉はいとこの服を借りて行った。交通費は姉が貯めたお金を使った。でも両親には言わずに行った。だいたいどんな仕事なのか…

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3年前

レアの場合①

朝方、仕事から帰ると、マイコはいなかった。どこかに遊び行ったのかと気にもしなかったけれど、それからもマイコは家に帰って来なかった。 マイコが働いているという喫茶…

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3年前
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マイコの場合⑭

パパはママとのことは話さなかった。そして体の具合が悪くて入退院を繰り返していると言った。「マイコを助けてあげたいけれど、力にはなれない。今まで放っておいたこと、…

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3年前

マイコの場合⑬

何だか泣いたら少し気持ちが楽になったような気がした。顔を上げるとマリコも泣いていた。そして「マイコ、やっぱりあんた家を出た方がいい!」ときっぱり言った。 「この…

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3年前

マイコの場合⑫

それからもマイケルは時々、チャットをしてきた。最初のうちはそれなりに返信もしていたけど、そのうち愛してる、とか、君のことを考えて夜も眠れない、とか送ってくるよう…

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3年前

ヤマモトの場合④

それでもレアに毎日電話をかけた。呼び出しもしなかったが、また電波が届かないのかもしれない。でも自分でもわかっていた。もうレアとはおしまいなのかもしれないと。

私と同じようにフィリピンパブで出会い、結婚した日本人男性は私の周りにも何人かはいた。みんなあまりうまくいっているようには見えなかった。子供を日本で産むのは不安だからと言って、フィリピンに帰ってそのまま戻ってこなかったなんて話も聞いた。フィリ

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ヤマモトの場合③

夫婦になれば一緒に暮らせる。そんなことは当たり前のことだ。子供が生まれる前にはレアに日本に来れるのだと思っていた。しかしそうはならなかった。レアの在留資格が取れなかったのだ。詳しいことはよくわからない。なぜ正式に夫婦になっているのに、日本で一緒に暮らせないのかさっぱり理解できなかった。一度、申請し却下されると半年は再申請ができないとエージェントに言われた。そして何が理由で許可されないのかはわからな

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ヤマモトの場合②

こんな気持ちになったのはたぶん生まれて初めてだった。レアのことが頭から離れなくなった。朝、起きても、仕事をしていても。いてもたってもいられず、店に会いに行った。一人でああいう店に行くようになるとは自分でも信じられなかった。レアはいつも歓迎してくれた。時々、別の客の相手をしていることがあったが、そんなときは胸の奥がギリギリと痛んだ。

ある時、レアが浮かぬ顔をしていたので理由を聞くと、父親が病気だと

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ヤマモトの場合①

ある日、手紙を受け取った。ちゃんと自分宛てに届く郵便物を受け取ったのは本当に久しぶりだった。「親展」と書かれた白い封筒には知らない団体の名前が書いてあった。

手紙を読み驚いた。妻のレアと娘のマイコが日本で生活していると書いてあった。できれば連絡がほしいと、前田真理子という人の名前と連絡先が書いてあった。

レアと初めて会ったのは、彼女が働いているナイトクラブだった。いわゆるフィリピンパブと呼ばれ

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レアの場合⑨

マイコは17歳になったばかりだ。だから結婚はまだ早いにしても、恋人くらいはいてもおかしくはない。私だって15歳の時には恋人はいた。結婚はちゃんとした相手としてほしい。だけど日本人に騙されるくらいなら、日本で働きたいフィリピン人と結婚して、いくらかお金をもらってもいいんじゃないか。それに本当にお互いに好意を持ってそういう関係になれば偽装ではない。

マイコは中学を卒業してどこかの工場で働いていたがす

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レアの場合⑧

何もかもが嫌になる。日本に来れば仕事もして、それなりに楽な生活ができると思っていた。たくさんお金を稼げば、ファミリーも喜ぶと思っていた。でも食べていくのにやっとだったし、マイコは相変わらず陰気な顔をしていて私を助けてはくれない。こんなはずではなかった。私はもっとマシな人生を送るはずだった。どこでまちがってしまったのだろう?

同じ店で働く女たちも、みんな似たり寄ったりの境遇だった。タレントで日本に

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レアの場合⑦

アキヤマから紹介してもらったフィリピンパブは小さな店だったが、結構お客は入っていた。ほとんどが常連客で、近所の自営業の人が多かった。以前は若いタレントが3カ月おきに入れ替わっていたそうだが、今では日本人と結婚しているフィリピン人女性が3人いた。週に何回かやって来る中国人も何人かいた。オーナーはハヤシという男性だったが、ほとんど店には現れず、ハヤシの妻だというフィリピン人のダイアナが仕切っていた。

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レアの場合⑥

弁当工場での仕事はきつかった。1日8時間、残業2時間、ほとんど立ちっぱなしの作業だった。夜勤もあった。しかし思ったほどの収入にはならなかった。タレントとして働いていた頃に比べると、なんでこんなに働いているのにこれしかもらえないんだという感じだった。しかも、来日費用などが借金としてされていたので、毎月の給料から引かれた。それにアパート代が引かれると手元に残るのは5万円程度だった。

ジェイソンにもお

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レアの場合⑤

ジェイソンの一番上の姉はアメリカ人と結婚していてアメリカにいた。この家もその姉が両親に買ってあげたものだった。ジェイソンは3人きょうだいの末っ子で、すぐ上の姉は結婚して家を出ていたが、ジェイソンのいとこたちが何人か町から近いこの家に下宿をして、仕事に通っていた。

私も早く仕事に戻りたかったけど、ナイトクラブは日本に働きに行けなくなった若いタレントたちで溢れかえっていて私の居場所はもうなかった。そ

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レアの場合④

両親は驚いたけど、すでに妊娠していることを告げると渋々結婚を認めてくれた。いろいろと手続きはたいへんだったけど、知り合いの知り合いのエージェントに頼み、在留資格まで取って50万円だと言われ、ヤマモトが払った。

ヤマモトは2週間ほど私の田舎に滞在し、日本に帰っていった。それから毎月、お金も送ってくれた。マイコが生まれると会いに来てくれた。マイコという名前はヤマモトがつけた。

早く3人で日本で暮ら

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レアの場合③

私は店では、メイと呼ばれていた。本名はレアだけど、私は日本ではメイだった。半年はあっという間だった。お客さんからお尻や胸を触られることは日常茶飯事で時には酔っ払ったお客さんからしつこく絡まられたりすることもあったけど、おおむね楽しかった。小さなアパートの一室に同じ店の女の子と同居し、店までは店長が送り迎えしてくれ、夕飯も店でまかないを食べさせてもらっていたので、生活費はほとんどかからなかった。給料

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レアの場合②

面接会場にはたくさんの女の子が待っていた。私と姉はいとこの服を借りて行った。交通費は姉が貯めたお金を使った。でも両親には言わずに行った。だいたいどんな仕事なのかはわかっていたし、すんなり両親が許してくれるとは思わなかった。まともに子供たちを養えないくせに、道理ばかりを厳しく説く父親にはうんざりしていた。とにかく私はこんな生活が嫌だったし、ここから出て行きたかった。

面接は簡単だった。日本のナイト

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レアの場合①

朝方、仕事から帰ると、マイコはいなかった。どこかに遊び行ったのかと気にもしなかったけれど、それからもマイコは家に帰って来なかった。

マイコが働いているという喫茶店の名前も場所も知らなかった。スマホも高いから持たせていなかった。ようやくマイコと仲のよかった前田真理子という女性に連絡がついたのは、マイコがいなくなって一週間後のことだった。

前田という女性は、マイコは自分自身の意思でここを出て行った

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マイコの場合⑭

パパはママとのことは話さなかった。そして体の具合が悪くて入退院を繰り返していると言った。「マイコを助けてあげたいけれど、力にはなれない。今まで放っておいたこと、そしてこれからもきっと助けてあげられないこと、本当に申し訳ないと思っている。」と、パパは言った。

私はパパがママの言うようなひどい人だとは思えなかった。パパとママの間に何があったのかはわからないけど、今までママと暮らしてきてパパに同情する

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マイコの場合⑬

何だか泣いたら少し気持ちが楽になったような気がした。顔を上げるとマリコも泣いていた。そして「マイコ、やっぱりあんた家を出た方がいい!」ときっぱり言った。

「この際だからはっきり言うけど、あんたはママを捨てた方がいい。このままあの人と一緒にいてもいいことなんてない。」そうだけど、じゃあ、どうすればいいのかなんてまったく思いつかなかった。

マリコの働いているNPOには、就職の斡旋も行っているという

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マイコの場合⑫

それからもマイケルは時々、チャットをしてきた。最初のうちはそれなりに返信もしていたけど、そのうち愛してる、とか、君のことを考えて夜も眠れない、とか送ってくるようになった。会ったこともないのに、愛してるなんてよく言える、と少し気味が悪くなった。そしてビデオコールもしてきたが、話す気はなかったので出なかった。

マイケルとのやり取りをママは全部知っていたようで、なぜビデオコールに出ないのか、と詰め寄ら

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