ヤマモトの場合②

こんな気持ちになったのはたぶん生まれて初めてだった。レアのことが頭から離れなくなった。朝、起きても、仕事をしていても。いてもたってもいられず、店に会いに行った。一人でああいう店に行くようになるとは自分でも信じられなかった。レアはいつも歓迎してくれた。時々、別の客の相手をしていることがあったが、そんなときは胸の奥がギリギリと痛んだ。

ある時、レアが浮かぬ顔をしていたので理由を聞くと、父親が病気だと言った。治療を受けさせたいが、お金がないのであきらめるしかない、と言って俯いた。泣いているようだった。レアの力になりたい。そう言うと、これは私の問題だから、と言った。そしてこうやって話を聞いてくれるだけでうれしい、と言った。

ほとんど毎晩、店に通っている私を見て、同僚が心配して声をかけてきた。ああいう店にいる女性に騙される人が多いから、気を付けるように、と。でも私はちがうと思っていた。確かに騙される人もいるだろうが、私だけはちがうと思っていた。だってお金が目当てならば、私が経済的支援を申し出たときに具体的なお金の話をしてくるだろう。でもレアは断ったのだ。金目当てでは絶対にない。

そのうちに店の外でも会うようになった。私は有頂天になっていた。人生で初めて生きていると感じた。そんな時にレアが妊娠したと告げてきた。戸惑いがなかったといえば嘘になるが、それでも嬉しさの方が勝った。自分の子供。愛するレアとの子供ができる。結婚しよう、と言うと、レアは嬉しそうに頷いた。

まさか自分が結婚をするとは思わなかった。それも国際結婚だ。この時、私は50歳だった。娘と言ったっておかしくないレアみたいな若い女性と結婚し、もうすぐ子供も生まれる。今まで人生なんてつまらなく苦しいものだったが、一発逆転ホームランのような気分だった。

しかし手続きはいろいろとたいへんらしかった。何をどうすればいいのかもまったくわからなかった私は、レアが言うエージェンシーに頼むことにして金と戸籍謄本を用意した。50万円という額に驚いたが、いろんな人に聞いてみたが、そのくらいが相場とのことで、特別高くもないとのことだった。そしてレアが帰国する時に、私も一緒にフィリピンに行った。初めての海外旅行だった。

レアの田舎はマニラからバスで何時間も行ったところだった。バスを降りても、そこからトライシクルという三輪タクシーを貸し切り、更に小一時間のところで、本当に何もなかった。娘を妊娠させ、結婚を許してもらうために両親に会いに行くというのは緊張したし、父親から殴られることも覚悟していた。しかしそんなことにはならなかった。言葉が通じず何を言っているのかはわからなかったが、数日後、結婚式を役所の一室で挙げた。レアは白いドレスを、私はバロンタガログという衣装を着て。


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