適当に作っても時間をかけても誰にも伝わらない;BlueMoonFlower
新鮮な感情はどこまで継続するのか。
そんなものはわからないけど、今回はインスト曲「BlueMoonFlower」について書きます。
3段落で解説
この曲の名前は、以前作ってそして消してしまった曲「Moon」と「Blue Flower」を組み合わせました。
楽曲そのものは「Moon」のデータをあれこれ触ってこうなりました。
映像は、自分で撮った写真と自分で描いた絵を合成し、ゆらめきのエフェクトを適用しました。
…
ということで「BlueMoonFlower」そのものについて書くことは終わりです。
3連「た」で終わらせてみました。(4連?)
あとは創作や社会について思うことになっています。そちらの方がメインで言いたいことです。
適当に作っても時間をかけても誰にも伝わらない
記事タイトルにも、この見出しのタイトルにもした「適当に作っても時間をかけても誰にも伝わらない」というのは、「作品が誰にも伝わらない」ということではなく、「その作品が完成するまでにかけた時間や苦労はだれにも伝わらない」ということです。
その作業量がどんなに多くても、どんなに少なくても。
ありがたいことに僕はnoteの記事や配信している自作曲にそこそこの反響をもらっているので、作品自体は確実に誰かに届いています。
例えば今一番スキをもらっている記事(?)は自己紹介です↓(執筆時13個)
記事と言って良いのかわからないですけど、自分についてざっと書きました。そして、これを書くのにあまり労力はかかっていません。
自己紹介よりもエネルギーを使って書いたけどもスキの数(執筆時10個)がそれより少ないのは↓の記事です
細かいことを言うと、自己紹介には自作曲を埋め込んだり他の記事を多数引用したりしているので、そちらの評価が記事の人気を上げているのだと捉えています。
なので純粋な内容の比較はできませんが、しかし記事一本を作成するにかかった時間だけで考えると、かけた時間や労力と成果(ここではスキの数)は大して比例しないことがわかります。
文章ではなく音楽では、↓の曲が
なぜか(Google広告を打ったものの)、なぜかというかいや、なぜかですね。伸びています。(5.2万回再生)こんなに伸びると思っていなかったので。
もちろんそれ自体は当然、ものすごくありがたいのですが、正直なところこればかり再生されていて拗ねるというか、あまのじゃくな性格なだけかもしれないですけど、
「他の曲を聴いてくれええええええええおおおおおおおおおおあぁぁぁあああああああああああああああああ」
って感じです。なぜなら僕自身は特に「ハーバリウム」に思い入れがないので。
ハーバリウムも良いですけど(自画自賛)最近のおすすめは「Final Battle」です。↓
(もうGoogle広告を打つ金がないんじゃ…)
まぁ、これは文章(しかも散文)にせよ音楽にせよ、どちらもつかみどころのハッキリしないもの、カッコつけていうと芸術作品なので、成果に大きくバラツキがあるのは至って当然のことだと思っています。
誰かに伝わること自体奇跡
ここで改めて、記事を読んでいただいたり、楽曲を聴いてくださる人に深い感謝を述べておきます。本当にどうもありがとうございますm(_ _)m
受け取ってくださる人がいないと創作は何も始まらないので。
…
「その作品が完成するまでにかけた時間や労力はだれにも伝わらない」
これは何も「こんなに長い時間をかけたんだから見てくれ」とか「俺はこんなに苦労してるんだよ!」といったことを言いたいのでは全くありません。
これまで曲がりなりにも作編曲と執筆を続けてきて、ただ事実として「やっぱそういうもんなんだなぁ〜」と感じているのです。
長文を書くことは、確かに字数も多く必要だしタイピングの手間もかかりますが、しかし僕は文章が書くのがとても好きなので、嫌な気持ちは全くありません。好きなゲームをひたすらやっても全然嫌じゃないどころかずっとその時間が続けば良いのに、と感じるのと同じです(唯一大変なのは眼精疲労)。
むしろ、Xのような短文SNSで面白いことを言って多くの注目を集める人はすごいと思います。あとは俳句も。なぜなら僕には伝えたいことを短くする能力が大してないからです。まぁ、その能力を鍛えようと思えばできるのかもしれませんが、あまりそこに魅力を感じないので、ある種長文に逃げています。ダラダラと書く方が圧倒的に楽なので。
作編曲に関しても、短い曲の方が一概に楽だとは感じていません。
それより長い曲に比べて音色の配置だったり最終確認の時間だったりといった純粋な過程の作業は少ないものの、短いが故に全体の構成をより慎重に考えたり、中身の詰まっていない曲に感じないようにはどうすれば良いのか考えたりするので。
作品の価値というものは”出来上がりがいかに優れているか”だと僕は考えているので、常にそこを意識しないといけないなと感じています。
それこそ上で書いたように「こんなに長い時間をかけたんだから見てくれ」と思ってしまった時点で、それはただの過剰な自己愛のようなものでしかないよね、と。
…
そんな感じであれこれ考えてたどり着いたのは、自分の思いが他者に届くってやっぱり最高に素敵なことだなぁ、ということです。
全ての人間と分かり合うことなんかできるはずがないし、どんなに親しい関係であっても全てを分かり合うことは限りなく不可能に近いと思います。だからこそ、同じ気持ちだったり同じものが好きだったり、ようするに気持ちが通じた時に心がじんわりするわけで。
何かを表現してそれをインターネットに置いておくということは、自分の分身を全世界に公開することと同義でしょう。それが誰かに届くっていうのは、やっぱりものすごく嬉しいですよ、僕は。
なぜ何かを作るのかって、ただそれしかない。
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