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グローバリズムとナショナリズム、そして温故知新。

 540回目です。φです。

 先程ちらりと見た情報で、北海道は一桁代の気温になってきたそう。冬がやってきていますねぇ。北海道行きたい。白樺見て雪で遊んで走り回りたい。馬に会いたい。色々無理だったら空気吸うだけでもいい。低い気温の空気が私には必要なんです…!

 どうして私がここまで冬が好きか、もはやよく分かりません。私の心の故郷ことアメリカの冬は、私が過ごした期間は雪が積もって家の庭でそりで遊べるくらいだった。一番満喫していたらしい私。それを常に求めているのかもしれません。冬、雪、あの空気。恋しいものです。

 さて、今日のnoteは冬なんて全くもって関係ないものです。ただニュースを見た私が冬欠乏症に陥ったので、文章を書くことで宇宙へ飛んでいきそうな気分を落ち着けているだけ(笑)

 ニュースでついでに見つけて読んだ、「今こそ日本は日本の思想に戻るべきだ」という記事。まぁグローバリズムが浸透していくと、ナショナリズムが叫ばれるものです。世界を知ると、自国に目を向けだす。必ずしも、ではないけれども。

 私はなんでもかんでも「世界の基準に合わせるべし!」とは思いません。世界を知ることは、世界の情勢についていくことは必要です。しかしながら、それを丸ごと自国に取り入れることが良いかと言われると、肯定はしない。世界中がやっているからといってそれが完全な正義でもなければ、正しいという確証があるわけでもない。世界のことを吸収して、自国のものと照らし合わせ何が正しいのかを見定めて、結論に至る。

 まず自分たちで、「本当にそれは正しいのか?価値があるのか?」ということを判断する必要があると思う。いわゆる吟味。「はい、それが正しいんですね了解です」という従順さは好ましくないと私は思う。

 まぁ日本について、私は「この国は完璧!」と思ったことはありません。どの国でも完璧はないと思う。完璧に見えたとしても、それは他国から見たものであって、必ずしもその国の国民全員が完璧だと思っているわけではない。完璧そうな印象を持たれている北欧だって、問題はある。北欧のシステムに疑いの目をもって見つめる国民もいる。

 日本の思想に戻るべきだ、には私は一部賛成します。賛成するけれど、どの時代の思想を差しているかにもよりますが。第二次世界大戦中の政府のものを差されていたのなら、私は速攻で否定する。

 私は日本史を学び直している中で、「日本って西洋化がなければどうなっていたのだろう」と思うことが増えました。

 しかしながら、歴史にIFのストーリーはない。”もしも”を考えても、それはあくまで想定でしかないし、妄想でもあり得るから。それに、一度取り入れたものを”なかったことにして”考えることは非常に難しい。

 例えば、今の世界全体の問題である”色”について。

 「黒はとある人種を差すもので、それは人種差別の意味を含む。」、このことを知った後に、「はいさっきのなかったことにして、」と言われても、なかったことにはならないでしょう。受け入れたとしても、了承したとしても、ふとしたきっかけで黒を見て連想するかもしれない。街中で出会って人の肌が黒かったら、何も知らなかった時とは異なる反応をするかもしれない。

 教えられたことを忘れることはあっても、完全に記憶を消却、というわけにはいかないものです。だからこそ、日本から西洋化がなかったとしたら思想がどうなっていたかなんて想像できない。想像できたとしても、そこには今の西洋化が自然に浸透し、どこにでもある現代人にとっての思想であって、すでに”西洋化がなかった日本の思想”の発想はできないのだと私は思います。

 私が日本の時代で思想として取り入れられたらな、と思う理由は、日本のふるーい歴史から。今でこそ性差別がひどくて世界から遅れていると言われるこの国ですが、世界最古の女流文学は紫式部の源氏物語なんですよね。まぁ参考にするには古すぎるし、当時差別がなかったとは言えないし、差別の内容自体も現代のものと比較するとおかしなことになるのだけれども。

 今問題になっていることは、かなり西洋のものが多かったりもする。レインボーの旗のもと、様々な性があることを世界に発信していらっしゃる方々がいます。これとは少し離れますが、同性婚は認められない、異性を愛さないとは何だ。体の性別で、すべてを決めてしまうことへの様々な議論が交わされています。

 さて、日本の歴史を振り返ってみると。普通に同性愛もあるんですよね。織田信長と森蘭丸の関係とかはかなり有名になっているのではないでしょうか。他にも武田信玄とか、伊達政宗とか。戦国武将は人気が高いですから、彼らの人間関係も色々と発覚していますね最近。

 それらを考えると、もし日本が西洋化しなかったら、今のような問題はなかったのかもしれない。「同性愛?何が悪いの?」というものであったかもしれないのです。同性愛云々はキリスト教の価値観ですから。

 日本が西洋化しなかったら、今世界的な問題は日本では存在しなかったかもしれないのに!

 …とは言えません。西洋化云々がなくても、日本は日本の問題が発生していただろうし。西洋化しなければ無かったものだってたくさんあります。西洋化が良い悪い、それの判断は正しい正しくないでは言い表せないものです。

 それはさておき、日本はもっと自国の歴史を、歴史で語られる当時の価値観を、今でも受け継がれている価値観を、学んで取り入れ、グローバルになる世界だからこそ自国を誇り、愛する心を少しは持っていた方が良いと思う。「日本全然ダメ、改善する日は来ない、もう終わり」と思っていては、本当に終わる日も来るのでしょう。それよりは誇りを持って、世界と対等にその思想を展開できるように改善していった方がいいのでは、と私は思ったり。

 日本には素晴らしいものがありました。今もあります。すべてが素晴らしいというわけではない。今の世の中を見ていると正直「終わったな」と思うことだってあります(笑)

 温故知新、歴史を振り返って、良いところも悪いところも見つめ直して、その目で世界を見て。多くの国民が深く考えて見つめ直すことで、変わる世界はあると私は信じます。きっと大変で、長い道のりだけどね。

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