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自戒を込めて。人とのコミュニケーションのこと。

りあです。なんといいますか、「こういう人にはなりたくないなぁ」と改めて家族を見ていて思いまして。メンタルをぐしゃっと紙ごみのように扱われた気がしないでもないのですが、学びがあったのでこちらに書こうと思います。

「文句は人に言って解消!友だちが遊んでくれないから、そうだ娘に言って解消しよう!息子にはわざわざ話さないよ相手にしてくれないし逆に文句言ってくるし」

「あーすっきりした!文句は人に話して解消するものだよね!」

こんなことを思う人、一定数いると思うんです。少なくとも私は複数人しっています。母親の友だちとか、家族とか、まぁ…”私が好きで一緒にいるわけではない人”という集団が特に。

私は「人に文句を言って解決するのは悪だ!」とは言いません。きっと、そうやって解決する人もいるでしょうし、そういった価値観を共有している人たち同士なら、「だよねー!」と盛り上がることでしょう。

そこの価値観さえ合えば、「文句を言って解消する」、という方法は最高の解決策になり得る。悪い選択肢ではないのです。

私が読んだ本には、「文句を人に言わない、ということを美しいことのように扱っているが、実際文句を言っている人の方が楽しそうに生きているものだ。人間生きていると不満くらいはある、それを発散しない方がストレス過多になり、よくない」とか、書かれているものもありました。

「文句を言い合うことで、お互いのことをよく知ることにつながる。親交を深めるためには文句を言うことも必要だ」とかも。

いろんなことを見ていて思うのですが、良いか悪いかの二択ではないこの世の中だし、誰かにとっては良くても、誰かにとっては悪かったりするものです。万人に当てはまることなんで、本当にごくわずかなのでしょう。

だから、「自分が良いと思っていることは、相手にとっても良いとは限らない」ということを常に頭に置いておかないといけない。それを知るためにはコミュニケーションが必要で、相手のことを知ろう、という気持ちが必要なんですよね。

相手を知ることで「おや、自分の思っていることはこの人と違うみたい」ということにもなる。「自分の良いと思っている方法じゃ、この人は不快に思ったりするかもなぁ」なんてことも考えることになる。

頭の中で「相手はこういう風に思うかもしれない!」と考えるだけじゃなくて、実際に本人に聞く必要もあるわけです。勝手に考えて、推測して行動して…では、妄想につながりかねない。せっかく相手がいるのだから、相手に直接、相手を傷つけない方法で聞くほど効率の良いことはないわけです。

遠回しに「〇〇ってどう思う?」とか聞いて、その答えから「お、この人は私の考えとはちょっと違うみたい。この人の価値観を知った方がよさそう」とか学習して、相手と付き合っていった方がいい。

…と、私は思います。「うーん、この人にこの話題で、私の価値観をもとに話すのは酷だなぁ。別の話にしよう」。「あの話をしたいけど、この人向きじゃないかも。そうだ、今度あの人に話そう」。私はそんな風に、話す相手と話す内容をしょっちゅうマッチングさせます。わざわざ、相手に負荷をかけるようなことをしたくないからです。

まぁ、私のやり方が完全に正しいとか、最善策だとか思いません。あくまで私の、私が(「わぁぁぁぁん出ていってやるこんな場所!」とか日々唇を噛んで過ごした日々を経て)得たコミュニケーション法&処世術&考え方です。

さまざまな解消法、日常的に生まれる不満への対処法は人に依って異なります。ある人は「本を読んで、没頭して忘れる」かもしれません。ある人は「大勢でバーで盛り上がって飲んでるうちに『まぁいっかあんなこと!』になる」かもしれません。ある人は「寝たらよし」かも。ある人は「友だちと愚痴大会で『分かる!ほんとだよね!』って言い合ってたらすっきりする」かも。

自分の解消法と同じ解消法をする人と、解消し合ったらいいんですよ、きっと。お互いwin-winですし。そこに悪感情は生まれません。

「自分の不満を解消したい!」だけで、動くのはどうなのかなぁ、と私は思います。自分が解消しても、解消のために使われた相手はどうでしょうか。もしかしたら、「うわー、不満溜まってたんだなぁ。お疲れ」くらいに思うかも。もしかしたら「え、なにこの人急に感情爆発させて。怖い」かも。「なんで私に言うの!喧嘩売ってるのかコラァァ!!」になる…かもかも。

どんな場面でもね、自分以外の他者が関わることになるのなら、コミュニケーションって必須だと思う。双方向のものになるように意識する。相手のことを考えて動く。自分だけのために、相手を巻き込まない。巻き込みたいのなら、「ちょっと聞いてお願いします!」みたいな気持ちだとか、「あとでこの借りは返すから!」とか、相手の時間と感情をお借りする(というか消費する)ことへの感謝が必要なのではないでしょうか。

私はまっっったく、出来た人間ではありません。「私は玉のごとく完全無欠よ…」とか言えません。毎日なにかしら「わぁぁぁやらかした」となるような人間です。そこら辺の健気に生きているわんこやにゃんこの方が出来た生物かもしれません、ってくらいの人間です私は。

でもね、そういった気持ちがあるからか、「こんな私にお付き合いくださり…感謝感激でございます…!」という想いで、人と向かい合っています。ほんと、私の周りは良い人だらけなんですよ。私が私以外の存在だったら、私に対して毎日デコピンなりしていることでしょう。なんとなく。

自分以外の誰かを、ぞんざいに扱ったり。「してくれて当然でしょ?」とか思って接したり。そういったことは、一生しないで生きていきたいものですね。今日のnoteは、自戒を込めたものになったかもです。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。感謝です。

Have a considerate day.

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