見出し画像

8月6日、8月9日。

 472回目です。φです。

 今朝11時にサイレンが鳴って、すごく驚きました。「3日前にも同じ音鳴ってた、大雨?」と落ち着かない状態で数分間過ごしたのですが、今日気づきました。黙とうのサイレンですね。

 先日8月6日は広島。今日8月9日は長崎。この日にちと場所だけで、多くの方は分かるかと思います。

 私は小学生の頃に長崎に、中学生の頃に平和学習として沖縄に行きました。広島へは家族旅行で、原爆ドームを見に行きました。私が戦争と原子爆弾について知るために動いたのは、そのくらいです。

 かなり昔の記憶になるけれど、今日はそれらを振り返ってみようと思います。当時の私は「戦争はひどい」という感想でした。被害の大きさや当時を生きた人の言葉を知って、目で見て、ただ歴史について学んだ。そのときとは、今はおそらく違う気持ちなんだろうなぁ。

 今朝知ったのですが、長崎の平和記念像のモデルになった方がいらっしゃるのだそう。ニューギニアやビルマ(現ミャンマー)で戦った陸軍大尉の吉田廣一さんとのことです。ご存じでしたか?

 勉強したのに、忘れたこともたくさんあるのだろうなぁ。私。

 戦争について、色々な意見があります。どっちが発端になった、どっちが正義だ、この戦争は意味があった、意味がなかった。書ききれないほどに、様々な意見がある。

 原子爆弾についても意見が分かれます。おそらくアメリカ側についた国々に生きる人と、日本で生きる人・日本人にゆかりのある人では、意見は異なるだろうし。日本人でも、意見は異なる。世代によっても異なるし、どんな話をどれだけ聞いたか、によっても異なるだろう。どこに住んでいるか、によっても異なるかもしれない。

 私は「やって良い戦争、やって良かった戦争はない」と思いたい。戦争によって変わるものはあります。何かを求めて戦争して、それが手に入った、そして平和になったのなら、それは「良い戦争」のように思えるし、悪いものが良いものに変わった、という国や地域だってあるだろうと思う。

 けれど、その戦争によって命を落とした人は必ずいて。その命を落とした人の大切な人はきっと泣くだろうし、悲しみ続けると思う。その人にとって、その戦争は良かったのかな、と疑問に思う。その戦争がなければその人は命を落とさずに済んだかもしれないのだから。

 物事を成し遂げるためには犠牲は必要だ。というのは、確かにそうかもしれないけれど。それが「正しい」かどうかは、人の考えによるのかもしれないし、立場にもよるのだろうと思う。

 どんな戦争でも、犠牲になるのは一般人。政治で戦争が起こると言われるけれど、当の本人たちは安全なところに大抵はいる。なんだかなぁ。何の理由も知らずに、戦争に駆り出される人だっているのだろうに。

 まぁ戦争はここまでにして。原子爆弾について。

 どこかで目にしたのだけれど、原子爆弾の投下は正しい判断だ、と支持されるのだとか。主にアメリカ、落とした国に住む人たちは。

 日本が他の同盟国であるドイツ(当時はナチスドイツ)やイタリアが降伏する中、戦い続けました。それを連合国への被害を最小限にとどめつつ終わらせるには、手っ取り早かったのだろうと私は思う。どの国も疲弊していた。わざわざ日本に兵力を送るのは自分の身を削ることでもあったと思う。

 しかしながら、連合国同士でもそこまで仲は良くない。アメリカとロシア(当時はソビエト連邦)が代表格というか。

 自分たちの力を見せつけておこう、そうだ自分たちの原子爆弾の威力を見せよう。世界だって日本の戦争の終わりを求めてる。

 …とか、思ったのかもしれない。

 そういったことを考慮すると、「じゃあ日本が悪い。原子爆弾は正しい判断だった。」になる人もいると思う。日本が早く戦争で降伏しておけば、済んだ話。自業自得だ、と言う人もいるかもしれない。

 私はそれで終わらせてしまったら、いつまでも世界の戦争への価値観は変わらないと思うし、変わらない価値観によってこれからも戦争は続くと思う。原子爆弾だって、いつかどこかに落とされるかもしれない。「戦争を終わらせるために」「正義のために」「世界のために」。

 私は、戦争の歴史は常にマクロの世界だと思ってる。そこに人間は個人としていなくて、ただ数字として存在する。マクロでの歴史の単位は「国」。

 だから年代と国名、それを代表する人物名、そして出来事だけで構成される。それが歴史だと思う。

 まぁ、膨大な量の歴史に個人個人のことを書いていたら、なんのことだかよく分からなくなってしまうからだと思うけれども。農民Aの生きた歴史を残していても、きっと「野菜を売っていた。田畑を耕していた。親戚の○○に会いに行き話し~」とか、きっと歴史家たちにとってどうでもいいこと尽くしになってしまうだろうし。それらが農民ABCD…と如何にコンプリートした歴史書が発刊されても、誰の需要になろうか。否ならないだろう。わぉ反語(笑)

 今に至るまでに必要な人物名、出来事、そして国名。世界で知られている歴史はそれだけです。

 しかしながら、歴史はそれだけでは動かない。歴史をミクロの世界で見ると、個人個人が確かに存在する。

 彼らに焦点を当てれば、戦争をミクロの世界で見れば、戦争とはなんだ、何が正義だ、となる。巻き込まれて、使い捨てのように命を落として。その人物が命を落としたら、次の人物が同じような道をたどる。それが繰り返されて、戦争は成り立つのだと思う。

 そのミクロの世界に目を向けると、戦争に正義も悪もないのだと思う。ただ人は生きているだけで。思想としては戦争に何か思いを持っていたとしても、その人物だけでは何も世界は変わらない。

 原子爆弾だって、ミクロの世界では何の意味があったと言えるんだろう。私は意味を見つけられない。

 「日本は焦土と化した。多くの人間が犠牲になった。建物は溶け、壊れ、爆風で飛ばされた。街が焼野原になった。」

 それだけだったら、悲惨な様子は伝わるけれど、ただそれだけだと思う。戦争ではどんな場所だってそうなるんだ、と思うかもしれない。

 けれど、そこで生きた人たちからの言葉を聞いたら、それだけではなくなる。人が炭のようになった。焼けて溶けかけた人が歩いていた。皮膚がずるりと剥がれ落ちた人がいた。完全に燃えてしまって、建物や道の影のようになった人がいた。水を求めて血まみれで歩く人がいた。全身にガラスが刺さった人がいた。子どもを守って焦げた人がいた。

 私はそういったことを戦争について学ぶ際に聞いた。これを、原子爆弾は正しい判断だった、という人は知っているのだろうか。それを聞いて、意見は何一つ変わらないのだろうか。変わるかどうかは私には分からない、けれど、少しだけでも考えてほしいと思う。

 今でもきのこ雲は軽視され、問題になることがあります。少し前もありましたね。ひとりひとり、すべての人に被害だとか、実態だとかを知ってもらうのは難しいけれど。それでも、私は「人が命を奪われた」ということを象徴するものを、揶揄するのは賛成できない。

 さて、原子爆弾についての意見は探せば探すだけあるけれど、wikipediaさんがさくっとしていたので。ご興味ある方はぜひ。

 今日のサイレンを私が認識したとき、蝉の声がずっと聴こえていました。サイレンに混じって聴こえていました。きっと原子爆弾が落とされる直前も、前日も、蝉の声を聴いていた人はいたんだろうな。次の瞬間に何が起こるかなんて、誰も想像できなかったと思う。

 命を落とした人たちは、私たちと同じ人間で。普通に生きて、普通に暮らしていて、明日もやってくることが当然だと思っていたのだと思う。戦時中だから、今の時代よりずっと危機感はあると思うけれど。そう思うと、戦争も爆弾も、ただ人の命を奪って、日常を壊すだけのものだと思う。

 過去の戦争に何かを願っても、その出来事が変わることはないし、命を落とした人が戻ってくるわけでもない。過去は過去で、学ぶことしかできないのだと私は思う。けれど、決して忘れてはいけない。それが過去だと思う。

 戦争と原子爆弾。それを経験した日本に生きるからこそ、これからの混沌とした世界に貢献できることはあると私は思います。経験から平和を願った先人たちの言葉を聴くことができるのは、日本にいるからこそとも言える。しっかり受け継いで、忘れないようにしたい。

 8月6日、8月9日。この日に犠牲になった、またこの日によって犠牲になった方々に黙とうを捧げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?