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「刀と日本人」を読んで。

 419回目です。φです。

 昨晩は激しい雨で、久々に聴いたその音にびっくり。毎年梅雨には聴いているはずの音だけれど、いつになく強い音に聴こえました。

 今避難って言われても困るなぁ、そんな思いを感じているからかもしれない。人の心と感覚って強いつながりがあると私は思う。

 にしても、豪雨はすごい。ただの1滴で構成される雨がたくさん空から降ってきて、ぶつかるだけで大きな音を生み出すのだから。1滴の量はそれぞれ違うのだろうけれど、それでも1滴。その1滴があの音をかき鳴らす。

 自然とは力強いものです。良くも悪くも。いつだって思います。どんなに技術を発達させて、あらゆることを予測できるようになったとしても、それに打ち勝つことはできないんだろうなぁ。と思う。その日は来るのかな。

 予測できるのはいいかもしれない。けれど、制御はできない方がいいのかもしれない。できた方が色々な被害は少なくなるだろうけれど、同時に疎かにして、万物を制御しようとし始めるかもしれない。それは嫌だなぁ。私の意見ですが。

 まぁ私の家も梅雨の時期になったらガレージは沈没するし、車は避難させないといけないし、数度洪水風になって孤立したこともありますが!(笑)

 それでも、自然の力に立ち向かうのはどうなのかな、と思う。うまく共存していきたいものです。

 昨晩も結局「ガレージ浸水したらどうしよー」と思って眠れなかったけどね。それでも私は水が好きだし、自然が好きです。嫌いにはなれないなぁ。

 さて、今日も読書です。不調を極めているらしく、大人しく家にいるので…環境は悪い中大人しくすることはなかなか骨が折れますが。


 今日はこの本。検索しているときに目に飛び込んできましたタイトル!

 どうやら続編のようです。同じ著者の。気にせず読みましたが(笑)

 余談ですが、私は映画とかも途中から見ても気にしない派です。内容よりも一瞬一瞬が好きなので、「シーンが良ければ良し!」という…内容覚えるときに、人物覚えるのが苦手なので。本も然り。一行一行が好き。言葉のチョイスとかね。

 和菓子と洋菓子の本を大量に借りている中に、この本混じっているんだから私の気分ってよく分からない(笑)

 私は不思議に思うことがあります。日本文化。中でも、刀については不思議なのです。

 なぜって、刀は武器です。切るため、戦うため、命を奪うため、のものです。かつては。今でこそ美術品として展示され、愛好家たちに飾られ、穏やかな時間を過ごしているのだろうけれど。

 武器なのに、奉納されたり、位の象徴として用いられたり、身分の証明のようになったり。「ただの刃物」と考えるには、何か違う。武器としてではなく扱われる武器。そんなイメージ。

 私は居合刀を持っていて、居合道で関わった方々は真剣(本物の切れる刀)を持っている人もたくさんいらっしゃいました。横で振られているのは真剣です、わぁ迂闊に近寄ったら切られちゃうね☆、という瞬間にも出会いました私。

 真剣の空気を裂く音、とっても澄んでいます。私にはそう聴こえた。居合刀だって刀だけれど、違うんですよね。どの方も丁寧に扱っていて、刀も喜んでいるよねぇと思っていました。今見てもそう思うだろうな。

 真剣の人も、私のように居合刀を使う人も、まず稽古前、佩く前には刀礼をします。刀に向かって正座して、一礼。私は心の中で「よろしくね!」と話しかけていたものです。今でも油をつけるとき、練習するときは謎の会話をしていますが。「私だったらオリーブオイルの方が香り好きだけど、いかが~?」とか(笑)

 私の心の中の会話はさておき、刀への礼を通して、「扱っているのは武器じゃない」と思う。武器だけど、武器じゃない。色々な方から刀の扱いを教わったけれど、どの方も「武器」とは言わなかったし、雑な扱いもしなかった。丁寧に、敬うように扱う。

 私は「不思議だな」と思っていながらも、まぁ理論ではなく「そうするもの」「そういう認識」として覚えていった。だからこそ刀へ頭を下げることも当然だと思うし、扱いを雑にしてはいけないと思う。礼を尽くす。それが刀に対しての態度。

 しかしながら、やっぱり不思議なのは変わりがなかったみたいで。図書館で見つけて、ついつい借りてきてしまいました、この「刀と日本人」。

 感想は一言で表すと、「読んで良かった」。私の疑問が解決しつつある。言葉ではまず理解したので、あとは自分の心に落とし込んでいこう、そう思える良書だと思う。「刀とは?」と疑問に思う人は、ぜひぜひ読んでほしいな。

 刀への思いも、時代を経るにつれて変わっていったみたい。後鳥羽院の頃、戦国、幕末、そして明治。刀そのものはそれなりに変わってはいるけれど、そのものの形は時代が変わっても変わっていません。初期のものとは違うこともあるけれども。

 私は刀をある程度知っています。ですが、私の母親は知らない。博物館に行ったとき、「どれも同じに見える」と言われたときはびっくりしました!刀の知識って、親しみがない人にとっては「こんな形」くらいなんだなぁと思ったものです。

 時代によって刀は刃のカーブに違いがあったり、長さそのものが違ったり。知っている人にとっては「これは〇〇時代のかな?〇〇派かな?」と思うくらいの違いがあるけれど、まぁぱっと見は同じです。時代が平安~現代に移っても、「日本刀」という感じ。わぉざっくり。

 しかしながら、刀への思い、刀というものが象徴するもの、刀への精神。それらは時代と共に変わっていった。それがこの本で私は知ることができました。武士道、大和魂、大和心。刀に関わる精神論は数多あるけれど、微妙に違う。

 刀の用途自体も変わってはいる。本当に実用として使われていた時代、実用としてよりも権威として使われた時代、もはや飾りとして使われた時代。それによって、心も変わったのかもしれないな、と思う。

 うん、この本は本当に面白い。私が「なんで~?」と思っていたことが徐々に分かってきた感じ。参考文献を見て、「よし次はこれだぁぁ!!」と今私の心は燃えています(笑)

 どこに向かっているんでしょうね…私…。

 さて、この本では日本人と切り離して考えることができない、とよく言われる「桜」についても刀との関係を書いています。桜は日本人に愛されている花で、武士道の象徴である。咲き誇って、枯れる姿を見せずに散る。その潔さが武士に愛されて、憧憬の対象となった。そして散った花は川に落ちると「花筏」と呼ばれる。それくらい、枯れても尚愛される。不思議なものです。

 「散っても愛される~」は武士道系の本で私は読んだのですが、読んだときは「え、緑の葉っぱ時代も普通にあるよね桜?」となんとも情緒の欠片もないことを思ったものです(笑)

 「桜好き!と言う割に、葉っぱ食べてるし花も食べるし飲んでるじゃないですかー!」と正直思うけどね!…好きだから食べるの…?

  なぞです日本の心。うん。面白い。

 日本人、桜、刀、心、精神。これらの結びつき、そしてなぜ日本刀が愛されて、銃に勝てるはずもない刀を手に戦った人がいたのか。それを少し、知ることができました。銃にとって代わることもなく、銃があっても刀を離さなかった日本人の心。武器としてではなく、刀を見ていたんだと分かった。

 今刀はあらゆる世代に愛されています。刀に興味のある人は、ぜひぜひ読んでほしいなぁ。刀を通して、見える世界は無限です。

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