目標が達成できなくて苦しい・つらいと思ったら
目標に向けて走っていれば、そりゃあ苦しいことだってあるし、むしろそのほうが多いくらいなのかもしれない。
ここで「苦しい」が勘違い、なのかと言うとその可能性もあるけど、とはいえそうとも言えないと思う。
苦しいと感じるものは感じる。それ自体は事実だ。
こう感じてしまうことそのものに対して、ネガティブとラベルを貼る傾向があるように思うけれど、ここを課題としてもその人の特性や性格にもよるので、コントロールができるようで実はできないんじゃないだろうか。
「そう考えるな!」
といくら言ったところで、克服するのはなかなか難しい。
じゃあ、この苦しみ、つらさをどうしろと言うのか。
ここで問われるは、この苦しみに対する態度のほうじゃないだろうか。
つまり、苦しい状況を無意味と決めつけ、逃れようとするのか、その苦しさに意味を見出し、超えようとするのか。
この違いだ。
僕自身の話をしよう。
今でこそ、独立を口にするくらいには、コーチとしての活動は流れ始めている。
本当にお陰様、としか言いようがない。
だけど、10年やっていて、そうでなかった期間のほうが圧倒的に長い。
・選ばれな過ぎてつらい。
・達成までが遠すぎてつらい、苦しい、周りがうらやましい。
長いことそう感じてきた。
「このあり方がまずもってダメなんだ!」と自分を責め続けたこともある。
だけど、このループの恐ろしいのは、その責めることそのものも苦しさとなってベンチプレスの重りのごとく加算されてくるところにある。
苦しさが苦しさをよび、つらさがつらさを呼ぶ。
当然、この自分では支えきれなくなったダンベルを、下ろしてしまいたくなる。
逃げたくなる。
という発想。
単純に、僕の視点の数が少ないのだと、やっぱりそうやって自分を責めたのだけど、視点の数の問題もあったが、そもそも視点を置くところがズレていたように思う。
この「苦しいから逃げる」という発想の前提にある視点はなにか。
これは前提に、「苦しみに無意味、非効率」という視点があるように思う。
ここでおいている課題は、「物事の見方をかえ、苦しいことをポジティブな捉え方をするようにしよう」
だった。
けど、その態度自体が違った。
苦しいものは苦しい、つらいものはつらい。
うらやましいものはうらやましい。
そう感じてしまうこと自体は、これはもうその人にとっては事実だ。
いや、解釈だと感じるだろうし、確かに客観的にみれば物事というのは元来はニュートラルなものだ。
だけども、性格を変えるのはなかなかに厳しいものがある。
繰り返しになるが、課題を「苦しさからの抜けだし」に置くと、「苦しく感じることも苦しい」という感じでガンガン重さが増す。
そして、逃げたくなるのは、その苦しさに「意味」を感じないからではないか。
だけど、苦しいとファーストインプレッションで感じることはやめられなくても、「だから意味がない」の部分は、それこそ解釈を変えることはできるのではないか。
この辛さ苦しさには「意味がある」
この前提に立つことが、まずもって目標への向き合い方として必要な視点だったのだ。
逃げるんじゃなくて、超えていく感覚。
そのためには、目標自体に対する態度も問われることになる。
「苦しいから逃げる」 その程度の目標なのだとすれば、それは目標そのものへの想いというよりも、結果への愛と言えるだろう。
結果は大事。大事だが、そうでなくてもやれるくらいでなければ、継続だっておぼつかないだろう。
僕自身がこれまで未達で終わってきたものは、この根本の態度と、見せかけの言葉でなく、根っこの部分で超えていく感覚を持てていたかどうかの違いだったのだ。
無意味に見えることに、どんな意味を見出すか。
その積極的な態度なんじゃないか。
ポジティブ・ネガティブが語られるとき、苦しさそのものに当てられることが多いけど、そこは論点じゃあない。
一見、ネガティブに見える経験に対して、外がどう言うかに関わらず、自らの意味性を見出す。
コーチングでアプローチするのは、最低でもこの深さなのだと今は思う。
そして、本当はもっと深いところのはずなのだ。そこが今の僕の伸びしろだろう。
だからもし、目標が達成できなくて苦しい、つらい、もう嫌、と思ったら改めてこう問いを持ってみてほしい。
「この苦しみにはどんな意味を持たせようか」
無意識に、今やっていることに意味があるのか疑問を持ってしまっているかもしれないからこそ、むしろ意味があるのか?と在る・ないで考えてしまいがち。
そうではなくて、創造する。
自分だけの意味を創造する。
苦しさは続く。だけど、そこに意味は見出される。
これだけで、視点はずいぶんと上にあがっていく。
今の僕には、ここまで読んでくれたきみの苦しさの背景はわからないけれど、それでも何らか届けば嬉しい。
実はこの考え方は、V・フランクルの「意味による癒し」という本にある考え方だ。「夜と霧」が有名だけれども、フランクル自身も、アウシュビッツの体験そのものは、「苦しいものは苦しい」と綴り、だけど「意味がある」と積極的な態度を取り続けている。
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