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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 3-山へと-

数時間前の日差しが嘘のように、
空はいつの間にか重い灰色の雲で覆われていた。

砂丘を降り切ってもしばらくは砂地が続いたが、
湿り始め、
表面温度の下がった砂はさほど歩きにくくはなかった。
風は湿気の匂いを孕んでいる。

(雨が降る)

男は歩いた。
生存本能が体の不調を上回り、
無理やり体を動かしたせいか、
背中の痛みは砂浜にいた時より少しましになっていた。
しかし、焼けた砂の上を歩き、
這ったせいで膝や手のひら、
足の裏が引きつれたように痛んだ。
炎症を起こし始めているようだった。
肩の皮膚も、日焼けの影響かひどく痛んでいる。
表面が張り詰めており、少しでも切れ目を入れると、
そこから裂けていってしまいそうだった。

そのまま数百メートル歩くと、
やがて地面は固くしまり、砂地は荒地に変わった。
膝ほどの高さの草がまばらに生えている。


男はずっと生まれたままの姿だった。
何か服の代わりになるものが欲しかった。
周りを見回す限り、
喰える見込みなど限りなくゼロに近そうな細長い草しかない。
人家は一軒も見えなかった。
一本の木すら、まともに生えていなかった。

遥かに、山々が見える。
あそこまで行けば、
今の自分に必要なものが色々と手に入るに違いない。
ひんやりした緑。木々。森。
流れる小川。房なる果実。動物の肉。
男ののどがぐびり、と鳴った。

(この地がどこかはわからないが、こんな荒地にいるよりはずっとましだ。こんな乾いた屍のような荒地よりは)

山である限り、
そこに何らかの恵みはあるはずだ。
そう信じ、男は足を前に運んだ。

湿気の匂いが強くなった。
そう思う間もなく、
草を揺らす風の音に、雨音が混じり始めた。

(……来たか。いいぞ)

果たして男の祈りは通じ、
あっという間に雨脚は激しさを増していった。
男は痛む背中をなだめすかしながらしゃがみこむと、
ぐっしょりと濡れた細い草や穂を口に入れ、
ねぶり回した。
ほんのわずか口内が潤うと、
また次の草の束を口に入れ、頬張った。
それを何度も何度も繰り返した。

(頼む、もっと。もっとだ)

雨はより一層強くなり、
男の赤く日焼けした背中や肩、
尻から火照りを奪っていく。
縮れた茶色い髪や、
口の周囲とあごと覆った同じ色の髭にも水が滴った。
それも手のひらで集め、
水分をしごき取るようにして口に運んだ。

汗のせいか海水のせいか、
それは強い塩気を含んでいた。
それでも男は飲んだ。
〈続く〉



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