雨の日に村上春樹を読む
朝、起きたら曇りだった。
なんとなくしゃきっと起きれずに、1時間くらい布団の中でぐだぐだしてから起きた。
顔を洗い終わると、雨が降ってきた音がした。
少しだけ窓を開けて、しとしと降る雨の音をBGMに、部屋の片付けをはじめたら、読みかけの村上春樹が目に入った。
カンガルー日和だ。
「彼女の町と、彼女の緬羊」で止まっていた。
あしか祭り
あしかが不意に訪ねてくる。
主人公は人間。新宿で隣になったあしかに、酔っ払って名刺を渡してしまったら、あしかが訪ねてくるようになってしまったらしい。
そんな、現実ではありえないような設定も、さも当たり前です、というように書かれていれば、ああそうなのか、と受け入れてしまう。
彼の文には、そういう不思議な力があるように感じた。
鏡
ジャンルで言えばホラーなのかもしれない。
でもあからさまな幽霊が出てくるとか、そういうものでも無い。
私はホラーがこの世で1番か2番くらいに苦手なので、読もうかどうしようか大変悩みながら、腰が引けるような気持ちで読み進めたが、なんとか大丈夫なラインだった。
夜だったら危なかったかもしれない。
1963年/1982年のイパネマ娘
曲の中の彼女は歳を取らないらしい。
確かにそうだ。1963年に聞こうが、1982年に聞こうが、いつでも彼女はそこにいて、いつでも同じ姿のままだ。
形而上学(けいじじょうがく)的存在なのだそう。
この漢字がまず読めなかったので、ひとつ賢くなった。
そこにいるけど、同じように生きている訳ではない。
だから日焼けもしないし、歳も取らない。
たくさんの、自分の好きな曲の中の登場人物達が思い浮かんで、彼らの今が気になった。
チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏
彼の貧乏の象徴は、チーズ・ケーキのような形の家だった。
貧乏に形があるとしたら、自分なら何になるだろうか。
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