魚介類とキリスト教文学の楽団「墓の魚」
こんにちは。
「墓の魚」の作曲家です。
私は子供の頃から妙に
魚介類に魅かれる子でした。
つまり「墓の魚」の今の作品を作る兆しが
子供の頃からあった!?
のかもしれません(笑)
中でも、大きな印象として残っているのは、
本の中のスペインかポルトガルの漁師町の
古い時代の写真(本の中の)を見た事です。
スペイン語の政治的なペンキ文字が
落書きされた壁の下に
漁師達の漁った貝殻や、漁の網が
転がっている写真だったのですが、
それが私には何とも印象深かったのです
(南欧で昔、社会主義の政治的な落書きが
納屋や壁に書かれる事が流行った時期がありまして、
それを説明した本の写真だった筈です)
当時、小学生か中学生の私には
上手く言葉には出来なかったのですが、
その時から私の中で
[貧しさの中の苦しみ]
[漁師達の日々の営みの中の苦悩]
と魚介類は、詩的に一つになっていました
(キリスト教と魚(イクトゥス)との関係を知るよりも前です)。
その後、中学生の時にポルトガルのファドに出会い、
私は、ますます南欧詩の世界と
海産物にハマっていく訳です。
そういう自分の中では確かにハマっているのだけど、
言葉で説明できない感覚を、
ちゃんと説明出来る様になったのは、
フランスのシャンソンの[カモメ]の詩(リュシアン・ボワイエ)や、
ファドの詩や、ボードレールの詩を見て
「自分の感覚はおかしい事ではない(南欧では)。
他にも同じ事を考えている人はいる(南欧では)」
という確信を得たからで、
思えば色々な偶然が重なっているのですね。
これは、いわゆるキリスト教を
古典文学、哲学的な面から学ぶとわかる
喪失の哲学
敗者の神学
です
(罪人として捕まり、
十字架に架けられたキリストこそが王であるという
卑しさの中、喪失の中、敗北の中にこそ
気高さを見つけるキリスト教的な西洋哲学です)
という訳で、今なら、
「貝殻は人生の苦悩なんですよ!!
捻じ曲がった石灰の、
節くれだらけのコンキオリンの骨の、
あるいは、漁師達の長い歳月の
歪な苦しみの骨なのです!!」
と言えるものも、
子供の頃は上手く言葉に出来ませんでした(笑)
しかし今でも、それを他者(特に日本人)に説明して、
わかってもらうのは本当に難しいな・・
と思う日々ですけどね(汗)
(キリスト教文学、詩、メメントモリの世界を
修辞技法や、換喩以外の
日常の言葉で説明するのは本当に難しい)
キリスト教文学的であり、
メメントモリを扱ったスペイン・コメディア風の
オペラ楽団「墓の魚」の描きたいものは
石や貝の骸がこの世で見せるもう一つの顔。
人間の政治や、貧困や、争いが、
そういう屍に反射して投影され、
見せる妖しい影なのです。
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