映画「サバハ」観ました
映画「サバハ」観ました。
これは宗教的な名作。
主人公の牧師さんが、
どこか「トリック」の上田教授を想い出して、
ほのぼのして良い(笑)
それはともかく、宗教学には
[高尚さ(sublimis)とは、
低俗さ(humilis)の中でこそ見つかる]
あるいは
[相反する両極の中で
真理は表現される]
という考え方があります。
つまり
[最高は最低を内包する
(Le pire cache le meilleur)]
であり、
人喰いの鬼(穢れた存在)が、
あるきっかけで神となる(反転する)物語な訳です。
あるいは
[神の崇高な光を
悪霊の暗闇によって可視化する]
とも言えるかもしれません
(これは「エミリー・ローズ」でも触れられてました)
この「サバハ」のストーリーは、
そういった宗教的本質を
見事に表現していたと思います。
■罪人だと思われ、惨めに十字架に架けられた者こそが神であった事。
■乞食(敗北者)の姿で現れる神(栄光)の物語。
■肉体的な敗北(受難)をする事で勝利するキリスト。
■神の愛は苦しみ(受難)でもある事。
などなど、宗教はそんな話が多いですよね。
この
【[低さ]の中に[高さ]を見つける事】
【[低さ]と[高さ]の対比と反転】
は、キリスト教文学や、
時には仏教の中でも語られる
【矛盾の中にこそ宇宙の本質を見る】
という主題の一つです。
韓国映画すごいなー。
ちなみに、高い存在である神が、
低い低俗な人間の肉体を
自ら纏った事がキリストの[受肉]です。
高さ(sublimis)と低さ(humilis)の対比と、
内包と、反転が、
神学の中で重要な意味を占めている。
なぜなら、我々の現実社会は
価値観の反転や内包を否定し
【あらゆるものが矛盾する事でこそ
自然に飽和している宇宙】
を否定し続けるからです
(例・社会における死や、
衰退の絶対否定や隠蔽 など)
故に、宗教は現実社会が見ようとしない
そういった部分こそを
説こうとするのですね。
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