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「音楽を続けられなくなりました」と宣言する人って・・

こんにちは。
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
作曲家です♪

「音楽を続けられなくなりました」
と宣言する人っていますけど、
そういう人は
音楽を[やっている]から
[辞める]という事になるんだろうなぁ
と思うのです。

私は[音楽をやって]すらいなくて、
人生好きな事しかしてない結果、
偶然[音楽率]が高いだけなので、
音楽やってる時も、
別の事してる時も、
好きな事してるだけなのです。

つまり、要は
[生きてる]
というだけの事なので、
大事なのは
私が[私でいる事]であって、
[音楽をやっている]かどうか
は重要ではない。

案外、何年後には
脇目も振らずに南米の水草ばかり
追いかけてるかもしれない。
でも、私の本質は
何も変わっていないのですよ。
だって、私達は
人生そのものが作品ですものね。

スペインジプシー鍛冶屋
鉄を打ちながら歌を歌う事で
生まれたフラメンコもあるのですが
(差別の中、苦痛の中で歌われる生活の歌
マルティネーテ(Maritinete)と呼ばれます)
そういう事ですよね。

音楽をやっているのではない。
生きているのだ。
その結果、歌は鳴り響くのだ。

日本人はきっちりし過ぎではないか?
と、私は思います。
[仕事][趣味]を分け過ぎでは??
そして仕事を人生と考え過ぎでは?

まぁ、家が貧困だったのに
好きな勉強しかしなかったので
路上生活も経験し、
そんな時でも
公園で歌ったり
作曲していた私にとって、
全てが
[肉体が朽ちるまでの暇潰し]
であり、
[生きる故の悲鳴]
でしかないのですけど・・

[音楽をやる]
[音楽をやらない]

そんな事ではない。

生活の中で、
仕事関係なく大声で歌ったり、
踊ったりする事
はないのか?
黒人奴隷達嘆きを歌った様に・・。
それが一つのジャンルに
なる事だってあるのです。

生きていれば歌は鳴り響く。
仕事なんておまけだ(笑)

さてさて、
今日は私が日々思っている事の
一つを語ってみました♪

そんな私が作品を制作していく
オーケストラ
墓場(LA TUMBA)
と、博物誌
「墓の魚」
これからも
よろしくお願いいたします~。




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「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
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「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
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