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映画「アメイジング・ジャーニー 神の小屋」(原題「THE SHACK」)に関する考察
「アメイジング・ジャーニー 神の小屋
(原題THE SHACK)」観ました。
良い映画でした。
■■ストーリー■■
愛する妻と3人の子供たち。マックの幸せな人生は、最愛の末娘ミッシーがキャンプ中に誘拐されたことで終りを告げる。捜索から数時間後、廃れた山小屋で彼女のドレスが発見される。そこに残された証拠から、警察が追い続ける連続殺人犯の凶行であることは間違いなかったが、ミッシーの遺体が見つかることはなかった。年月がすぎても、マックは深い悲しみから抜け出せず、妻や子供たちとも距離ができ、家庭は崩壊寸前だったが…。ある日、彼はその山小屋で神と出会う事になる。
■■■■■■■■■■
日本人はキリスト教徒のイメージを
[愛を押し付ける狂信者]
みたいな風に勘違いしている気がしますが、
こういう物語を丸ごとそのまま受け入れるのではなく、
哲学として自分の解釈で取り入れるのが良いのですよ。
要は[思考しろ]という事。
しかも数式的、社会的、打算的な思考ではなく、
人間の本質というもの、
生と死の本質というものを
思考しろという事です。
そうすれば見えてくるものもあるという話
(日本社会は打算的な思考を徹底教育してくるので)。
[神の物語]とは、人間社会の物語ではなく、
その社会の中で葛藤する我々の魂(思考)、
無機の中に産まれた生命の物語ですから・・。
[自分だけがどうやって楽園に行くか]
[その思想以外の敵は地獄に堕ちろ]
[他者への断罪]
という事しか考えてない信仰者もよく見かけますが、
そうではなくて
[人生とは自分が立っている場所が
楽園にも、地獄にもなる]
[目の前の石を理解する事が、
未知の無限を理解するのと同じ事であるという事]
[他者の罪を赦す事は、
この世そのものを受け入れる事だという事]
そういうシンプルな話をしているだけなのですけどね。
映画の劇中に出て来た
「罪は、それだけで裁き(罰)になっている」
という台詞、その通りだと思う。
極端に話、我々は
[救われたくてキリスト教に走る]
のではなくて、
[この残酷な世界と、どう折り合いをつけて生きていけば
ユーモアを持って生きていく事が出来るのか?]
それをキリスト教という哲学(芸術)から学ぶ、
という気持ちで観た方がいいと思います。
「エバン・オールマイティ」と共に
セットで観て欲しいキリスト教映画かも。
上記の「神の小屋」は重い話で
「エバン・オールマイティ」はコメディなのですが、
どちらも深いキリスト教哲学を描いた作品です。
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