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中国史ぷち講座

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美作市作東B&G海洋センターで行った『中国史ぷち講座』の欠席者・復習者用テキストデータです。お気軽にご覧ください。
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2023年10月の記事一覧

【春秋戦国編】第3回おまけ【中国史国号考察】

 中国史に登場する国名の規則性について質問があったので、回答させていただきます。 前とか後とか、西とか東とか  最初に注意してほしいのは前漢、後漢や西晋、東晋は後世になってからの呼び方です。正式名称は全部漢とか晋です。三国志の蜀も漢を自称しています。このままだと非常にややこしいので後世の人々が区別しやすく前とか後とかつけたわけです。  しかし、前漢と後漢の他に五代十国時代にも後漢があります。日本では五代十国時代の漢は後漢と呼びます。中国や欧米では前漢を西漢、後漢を東漢と呼

【春秋戦国編】第3回その2【栄光と没落を招いた覇者・秦の穆公と五羖大夫・百里奚】

 斉の桓公が大陸の東側で活躍していた紀元前659年、遥か西方では新興国・秦で穆公が即位しました。秦は後に天下統一を果たすことになりますが、当初は辺境の新興国といった立ち位置でした。しかし、秦は穆公の時代に強国としての階段を一気に駆け上がります。  秦の穆公は個人的には春秋の五覇の中で最も人格・能力共に優れた人物ではないかと考えています。そして、穆公は個人としての能力以上に広く人材を求めたことでも有名で、この方針は秦が天下統一へ向かうための一番の原動力となりました。そんな穆公

【春秋戦国編】第3回その1【高潔な覇者か?時代遅れの愚者か?・宋の襄公】

 斉の桓公のお話で最後の方に宋の襄公が登場しました。襄公は春秋の五覇に数えられることもある人物です。また、宋襄の仁ということわざにもなっていますね。『宋』の『襄』公で『宋襄』です。 桓公の後継者として斉の後見人  襄公が宋の君主として即位したのは紀元前651年、斉の桓公が即位して35年目の年でした。ちょうど桓公が葵丘の会盟を行った年です。襄公もこの会盟に参加しています。世代的には桓公と親子程度の年齢差があったのではないかなと思います。  宋は現在の河南省商丘市周辺を支配

第2回【質問と回答】

質問:三貴のその後を教えてください  易牙、公子開方、豎刁の悪党3人組がその後とどうなったか教えてください。 回答:易牙は国外逃亡、開方は桓公の孫を暗殺、豎刁はクーデターで死亡  易牙と豎刁は桓公の息子・無詭を担いで権力を握ります。しかし、宋の襄公の援助を得た太子・昭に敗れます。  中国語版ウィキペディアだと易牙ははじめ魯に逃亡し、その後彭城・現在の江蘇省に落ち延びます。豎刁と無詭は斉の人間に殺害されたとあります。  日本語版ウィキペディアだと易牙と無詭についてはほぼ同

【春秋戦国編】第2回おまけ【中国史での君主の呼び方】

君主の呼び方 第2回のお話の中で人名が非常にややこしかったと思います。例えば、襄公という人物は2人登場しました。第1回を含めたら4人登場しています。 ・斉の襄公 斉の桓公の兄。妹と密通して旦那を暗殺した。 ・宋の襄公 春秋五覇のひとり。 ・秦の襄公 第1回に登場。諸侯としての秦の初代君主。  めっちゃややこしいですよね。なんでこんなことになっているのかを少し解説したいと思います。 諡号  まず、桓公とか襄公とか穆公という呼び方は諡号という亡くなった後に贈られる名前です。日

【春秋戦国編】第2回【凡庸な大器・斉の桓公と大宰相・管仲】

 今回は前回お話したとおり、春秋戦国時代に活躍した人物に注目して語って行きたいと思います。春秋時代天下を牽引するリーダー・覇者が出現します。彼らはどのような人物だったのか見ていきましょう。 覇者の誕生斉の内乱  紀元前686年斉の国、現在の山東省でのお話です。日本では紀元前660年に神武天皇が即位したと伝わっていますから、丁度その時分です。当時斉は襄公という人が君主でした。この時代襄公という名前の君主が色々な国にいたのので、基本的には国名と合わせて斉の襄公といった呼び方を

【春秋戦国編】第1回おまけ【春秋戦国時代の戦争】

武器について青銅から鉄へ  春秋戦国時代は鉄製農具が普及し食料生産料が拡大した一方で武器は青銅製が主流でした。鉄製武器の方が性能が良いのですが、鉄よりも低い温度で加工できる青銅の方が武器としてはメジャーだったようです。  当時は木製の柄にかぶせて使う矛や戈という武器が主流です。柄にくくりつけたり埋め込んだりする槍は当時ではメジャーではありませんでした。槍は固定方法の関係上サイズを小さくする必要がありますが、青銅製の武器はサイズを小さくすると強度が落ちてしまうので鉄製武器が普

【春秋戦国編】第1回その3【戦国時代概要】

概要 紀元前403年周は晋から分裂した趙・魏・韓を諸侯として承認しました。これにより天下に下剋上の気風、周を侮る風潮が強くなり、情け無用の戦国時代へと移行していきました。  戦国時代の始まりは紀元前403年説や、三晋が実質的に独立した紀元前453年説。歴史書『春秋』の記述が終わった紀元前481年説があります。ここでは周の権威の低下が戦乱を加速させていったという文脈でお話をしているので、紀元前403年説を採用しています。  一方、戦国時代の終わりは紀元前221年の始皇帝の天下統

【春秋戦国編】第1回その2【春秋時代概要】

概要 先ほども言いましたが春秋時代の始まりは紀元前771年です。そして春秋時代の終わり、戦国時代の始まりはいくつか説がありますが、今回は紀元前403年の説を採用してお話をすすめていきます。  参考までにこの頃の日本では紀元前660年に神武天皇が即位されたと言われています。伝説とか神話の世界ですね。  春秋時代のはじめには100以上の国があって、熾烈な戦いを繰り広げていきます。もちろん以前から揉め事はあったんですが、調停役になるべき周の力が低下してしまい歯止めが効かない状態で

【春秋戦国編】第1回その1【西周時代概要】

はじめに 今回から中国史ぷち講座の記事を投稿させていただきます。  内容としては2023年10月13日に開催した講座の脚本です。参加できなかった方や予習・復習したい方向けです。  第1回ということなので、その1のみ講座の前に公開させていただきます。その2以降は講座終了後に公開していこうかなと思います。  一応予防線を張っておくようですが、私はただの歴史が好きなだけなオジサンです。歴史に詳しい方からすれば物足りない内容になるかと思いますので、先にごめんなさいしておきます。