第2回【質問と回答】
質問:三貴のその後を教えてください
易牙、公子開方、豎刁の悪党3人組がその後とどうなったか教えてください。
回答:易牙は国外逃亡、開方は桓公の孫を暗殺、豎刁はクーデターで死亡
易牙と豎刁は桓公の息子・無詭を担いで権力を握ります。しかし、宋の襄公の援助を得た太子・昭に敗れます。
中国語版ウィキペディアだと易牙ははじめ魯に逃亡し、その後彭城・現在の江蘇省に落ち延びます。豎刁と無詭は斉の人間に殺害されたとあります。
日本語版ウィキペディアだと易牙と無詭についてはほぼ同じ記述ですが、豎刁は戦死したと言われるが正確な没年は不明となっています。
一応、春秋、呂氏春秋、国語、戦国策、史記、資史通鑑、管子、韓非子を確認しましたが裏付けになる記述は見つけることが出来ませんでした。東周列国志という歴史小説にはウィキペディア通りの記述がありましたが、あくまで小説でのお話です。
擁立した無詭が死んだこと。その後の歴史の表舞台に登場した形跡がないことは確かです。東周列国志等の記述と大差ない末路だったのではないかと思います。
開方に関しては太子・昭が斉の孝公として即位した後も生き延びています。斉の孝公が即位10年で死ぬと彼の子供を暗殺し、斉の孝公の異母兄弟を斉の昭公として擁立しました。これは史記の斉太公世家に記述があります。その後の開方については詳細不明です。
余談ですが、ほぼ同時期に開方の故郷・衛の君主だった文公も名前が似ていることから情報が少し錯綜しています。
ちょっと消化不良気味の回答になってしまいました。閲覧された方で、詳しい人がいれば教えてください。