【春秋戦国編】第3回おまけ【中国史国号考察】

 中国史に登場する国名の規則性について質問があったので、回答させていただきます。

前とか後とか、西とか東とか

 最初に注意してほしいのは前漢、後漢や西晋、東晋は後世になってからの呼び方です。正式名称は全部漢とか晋です。三国志の蜀も漢を自称しています。このままだと非常にややこしいので後世の人々が区別しやすく前とか後とかつけたわけです。
 しかし、前漢と後漢の他に五代十国時代にも後漢があります。日本では五代十国時代の漢は後漢こうかんと呼びます。中国や欧米では前漢を西漢、後漢を東漢と呼びます。
 南宋も南北朝時代の南宋と、北宋の後継王朝である南宋があります。どちらの宋も創始者の名前から、南北朝時代の宋を劉宋りゅうそう、中華統一した宋を趙宋ちょうそうと呼びます。

 例外もあって、西楚せいそは正式名称が西楚です。後金は金が正式説、後金が正式説、どっちも正式説があります。

地名に由来する国号

 一番メジャーなパターンです。首都や旗揚げの地名に由来する国号です。春秋戦国時代の国号はすべてこのパターンです。
 かんは建国者・劉邦りゅうほうは秦滅亡後に漢中かんちゅう・現在の陝西省漢中市の王に封じられました。その後この漢中を拠点に天下統一を果たしたので、国号を漢にしています。
 また、皇帝に即位する前に就任していた爵位に由来するパターンもあります。有名なものだと三国志に登場する曹操そうそうは魏公、魏王の爵位を得た後、子供の曹丕そうひが魏の皇帝となります。

建国者の出自に由来する国号

 他には昔の王朝の末裔を自称するなどのパターンです。
 古の国を復興させるというのはわかりやすい大義名分ですからね。
 大体名字が劉の人は漢の末裔を自称し、李の人は唐の末裔を自称します。名字が違っても後裔を自称するケースもあります。逆に南北朝時代の劉裕りゅうゆうは国号を漢ではなく、皇帝即位前の爵位に由来する宋を国号としています。
 南北朝時代の南陳なんちんは建国者・陳覇先ちんはせんが建国した国で、国号と名字が一致する珍しい国です。即位前の爵位・陳王に由来しますが、この陳王の爵位自体が地名プラス王号であるという説と、伝説の聖王・の末裔であるとされたため禹の子孫が起こした国・陳に由来するという説があります。
 チベット・ビルマ系のタングート族の国家である西夏せいかは古代王朝の夏ではなく、地名の夏州かしゅうに由来します。

その他の国号

 例外ももちろん存在します。
 モンゴル系騎馬民族の契丹きったん人が建てたりょう遼河りょうがという河川と、契丹人の言葉で鉄に由来すると言われています。ツングース系の女真族のきんは遼を滅ぼしますが
「鉄は硬いけれども錆びて朽ちる。しかし金は永久不滅である」
ということで国号を金としています。
 元はモンゴル民族の国ですが、国号は周易しゅうえきという古典に由来します。更に元を滅ぼした明もこの周易に由来しているといわれています。明は漢民族の国では珍しく、地名や出自に由来しないパターンです。香港の小説家・金庸きんようの人気小説・倚天屠龍記いてんとりゅうきでは明の建国者・朱元璋しゅげんしょうがカルト教団の幹部から成り上がったことから、明の国号は宗教団体に由来するという設定でした。もちろんオモシロ起源説のひとつですが、漢民族の国号としてはそれだけレアケースであるということです。

一覧

 最後に主要な国名を羅列していきましょう。最古の王朝である夏は現在由来を調査中です。また、五胡十六国等を入れると大変なので省略しています。ご容赦ください。

夏 来歴不明
殷(商) 地名に由来(当時の呼び方は商)
周、秦、西楚、前漢(西漢)、新 地名に由来
後漢(東漢) 漢(前漢)の後継
 魏、呉 地名に由来
 蜀(漢) 漢の後継
西晋 地名に由来
 前秦 地名に由来
 東晋 晋(東晋)の後継
 劉宋(南宋)、南斉、南梁 地名に由来
 南陳 地名・出自に由来
 北魏、東魏、西魏、北斉、北周 地名に由来
隋、唐 地名に由来
武周 予言に由来、周の後継
 後梁 地名に由来
 後唐 唐の後継
 後晋 地名に由来
 後漢 漢の後継
 後周 周の後継
北宋 地名に由来
 遼 地名に由来、民族の言葉で鉄を意味
 西夏(大夏) 地名に由来
 金 遼の鉄に対して金を名乗る
 南宋 宋(北宋)の後継
元(大元) 古典からの引用
 北元 元の後継
明(大明) 古典からの引用
 後金 金の後継
 大順 予言に由来
清(大清) 五行説に由来、民族の言葉で戦士を意味
 南明 明の後継